母子寮に移ってからの母親は、JWのムチ指導が始まるまで、私を怒るときにサンディさん家のルールを変則的に適用して、お説教→1時間の正座→手でお尻を叩く、をローテーションするという罰のルールに変更しました。これはサンディ家より厳しい罰ですが、母親は私の意見を聞く人ではありませんので、一方的にルールを変更しました。
今思いだしても、サンディさんの家にいた日々は私にとって懐かしい思い出の日々でした。ムチで何回も叩かれましたが、それは何も私の心に傷を残していません。それは何故かと言うと、
と言うことになります。
子供にとって一番困るのは、親が怒るのが首尾一貫していないことです。子供は常に悪乗りしたがりますので、今回大丈夫だったから次回も大丈夫だろうと親の反応を見ながら悪さをエスカレートしていきます。そこで親が毅然と対応すれば、子供はこれ以上はやっちゃいけないんだなってちゃんと理解できますが、親が気分次第で怒ったり怒らなかったりすると混乱します。
サンディさんの奥さんは日本人の一般的な親に比べると極端に子供と距離を置く人で、子供が自分から近づかない限り自分からは近づかない人で、かなり厳しい人でしたが、子供の人格を尊重して、子供にいろいろ経験させて独立心を育成させる人でした。
対して私の母親は子供の独立心を絶対に認めない人でした。常に子供を自分のコントロールにおいておかないと私がJW信者にならないのではないかという危機感を抱いている人でした。母親は日本人にしては首尾一貫して子育てする方でしたが、こと宗教が絡むと話が違って、組織の方針が変更になると忠実に子育て方針を変更する人でしたので、私は頭が混乱して、親の方針がよくわからなかったです。
今、父親をやっている私は、それは親のわがままであり、子供を私物化しておもちゃにしているだけだと理解できますが、JWとは聖書ベースで子供の私物化を勧める宗教ですから、母親もしょーもない宗教に走ったものです。
そして、日本の会衆に通いだしてから、御国奉仕(王国宣教)の記事がだんだん変わってきて、子供をどうやってJW信者にするかということが毎週取り上げられるようになってきました。そして運命の日、JW組織のムチ指導の始まりの日が来ます。
前編終わり
ゆーじ
2002/03/21