そして組織の指導通り母親は私を抱きしめます。すると私の心は大混乱してしまいました。サンディさんの奥さんの言っていたことは事実でした。ムチの目的は子供に罰を与えると同時に子供の心に独立心を養う事であり、一番いけない事はムチの後に子供を抱きしめることだ。そうすれば子供には依頼心が出来てしまい、ムチは完全に逆効果になる。と言った通りの反応が私の心に起きます。

この突然の幼児返りみたいな自分の心の反応に自分でも驚きましたが、それが自分の心の育成にとってものすごくまずい事であるなんて、当時の私にわかるわけもなく、この日以来、私は母親にべったりとくっついて離れられなくなり、依頼心が異常に強い、精神的にものすごく弱い子供になってしまいました。

日曜日、

この日の公開講演の題は「子を懲らしめるのにためらうことなかれ」と記憶しています。この日の講演も、火曜日の三田ベテルの手紙の内容を聞いていない人には意味不明の講演でしたが、聞いている人には何を言いたいかよくわかる講演でした。そしてものみの塔研究となり、ここでも懲らしめがテーマの記事でした。いつもにない組織のしつこさに、信者全員が組織のムチの実施命令は本気なんだと実感して、この時から現在も実施中であるJWのムチが始まりました。

集会後、母親は会衆で光り輝いていました。私をムチで実験的に叩くことによりムチのノウハウを充分に仕入れて、母親姉妹達にうきうきしながらムチを伝授していました。曰く、組織の指導した男性用のベルトを女性がムチとして使用した場合はうまく力が入らないから不可である。二つ折りにした足踏み式ミシンのベルトこそ、太さといい力の入り具合といい、JW女性が使うべき最高のムチだと。

そしてこの日から、皮でできている直径1センチの足踏み式ミシンのベルトが会衆内の公式のムチとなりました。(足踏み式ミシンのベルトが金物屋で手に入らなくなるまで)

この後、集会は異常に静かな集会になりました。それまでざわざわ騒いでいた小学生が全員蝋人形のように凍り付いたからです。もし少しでもむずむずしたら、家に帰ってからムチです。親がムチと決めたら子供に逃げ道はどこにもありません。後は親が組織の指導通り形を整えるだけです。

まず聖書を前にして子供が納得するまで永久に続く説得が始まります。ムチは子供が自発的に志願した形で受けるようにしなくてはなりません。親が問答無用で強制的にムチをするのは組織の指導に反します。ですから長時間の説得により子供が根負けして、「ぼくの心の中のサタンを追い出してください」と親にお願いする形でムチが始まります。

そして、男の子も女の子も自発的にパンツを下げてムチを20発受けます。これにより、羞恥心が必要以上に刺激されて劣等感の虜になり、この後に受ける宗教教育と相まって、性に対して異常なほどの潔癖感と嫌悪感を持つようになります。通常ならこの状態で体罰を受ければ子供は親を恨むのですが、志願して自分からお願いしてムチを受けるんですから子供は親を絶対に恨めません。

次に親は組織の指導通り子供を強く抱きしめます。これにより子供は親に怒りをぶつけれず、悪いのは全て自分だと思いこみ、強い罪悪感の虜になります。そして自分で自分をいじめる癖が付き、深いトラウマになります。こういう子供の感情を一切無視したムチの指導により、子供はさらに心が混乱して心に深い傷が付き、長い間トラウマで苦しむ結果となります。

まことにJW組織とは子供の心の奥底まで理解している偉大な組織であり、子供の人格を完全に破壊して、筋金入りのJW信者にするための効果的な方法を考え出しました。

母親姉妹達は大喜びでした。それまで集会に集中しようとしても子供が騒ぐのが気になって集会に集中できないのが母親姉妹たちの悩みの種でしたが、子供達がおとなしくなったので、今までになく集中して集会に参加できます。いままで手でお尻ひっぱたいても言うことを聞かなかった子供達が、ムチを使うコツを組織が伝授してくれたので問題は一気に解決してしまい。母親姉妹全員が「エホバは偉大よねー」を乱発していました。

それが子供達の心を傷つけ、心に深いトラウマを作っているとも知らずに。

さて、会衆内は静かにはなったのですが、乳児と幼児はそうは行きません。それまで集会中に乳児と幼児が泣き出すと、母親は早めに外に連れだして、完全に泣き終わってから中に入ってきて、皆の迷惑にならないようにするのが集会中のマナーでした。組織の指導は子供が納得するまで言い聞かせる式ですから、言葉の通じない乳児と幼児は最初からムチの対象外です。乳児と幼児の母親が困ったなと思った頃に、第2のムチの発表が出ました。

それは、もっと幼いときからムチで叩いて訓練しろという指導です。物心付く前からムチで叩いた方がより効果的に子供の信仰を強められると言う理由からでした。そして、乳児や幼児の場合は言い聞かせる必要は無く、問答無用でパンツを下げて手でお尻を力一杯20回叩けと指導されます。

この発表により、乳児がおっぱいを飲んでいる頃にはさすがに王国会館では叩かれませんが、(当時は今と違って王国会館内でみんなの前で乳房を出して授乳するのが当たり前の時代です)幼児となり、はいはいし出す頃にちょっとでも集会中に騒ぐといきなりムチという状況になりました。


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