この頃になると会衆内の雰囲気は一変して、以前は騒ぐ子がいると、姉妹達は「しょうがない子ね」って優しい笑顔で見てくれていましたが。幼児のムチの発表の後は状況が一変して、少しでも騒ぐ子がいると、周りの姉妹達の目の色が変わり、姉妹同士が目と人差し指で合図して、一番近くの姉妹が人差し指でその子の母親姉妹をつつき、早くムチをしろと合図をする時代になりました。

母親姉妹の後ろ側にいる姉妹達が目で合図をしあって人差し指で合図する姿は異常としか言いようがありませんが、当人達は正しい事をしていると信じていますから始末に負えません。(つーか当時現役だった私もそれが当たり前の事で、それが世の中の尺度で考えると異常な事だなんて思いもしませんでした)

すると母親はすぐに子供を外に連れだしてムチです。問答無用ですから乳児はいきなり横抱きにして、幼児は手を引っ張って外に連れ出します。乳児はわかるわけもりませんが、幼児はこれから何がおこるかわかりますから「ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません、もうしません・・・・・・」と言いながら外に消えていきます。

すると会場内の姉妹達はみんな顔を見合わせて微笑んで、神に対して良いことをしたと言う満足げな笑みを浮かべます。これが異常な空間であると考えるのは一般人ですが、組織の指導に忠実に従う正しいエホバの証人は、これが普通であって世の中が全て間違っていると考えますから、何も問題を感じません。

こういう日々が続き、次には集会中だけでなく伝道中もぐずぐずしているとその場でムチとなり(物陰でパンツを下げてムチ)それまで伝道中の子供達は、普通の子供よりはおとなしいんだけど、たまに元気を押さえきれずにはしゃぎ廻るんですが、今は、はしゃぐと後でムチで叩かれるのがわかっているから、じっと立っておだやかにお話しているという状況になり、何も知らない一般人が見ると、「エホバの証人の子供達は、本当にみんなよい子ねー」と思いこんで、「うちのバカ息子もこの宗教に入ればこんなによい子になるかしら」というきっかけで研究生になる人が増えて、信者拡大の貢献もするようになりました。

そんな日々が続いていたある日曜日、集会前にいきなり3人の警察官が来ます。2人は私服の刑事で1人は制服の警察官でした。それは、毎回集会中に外に出てきては、悲鳴を上げる子供を叩く親を見た近所の人が、児童虐待で警察に通報したのでした。かなり長い押し問答が続いたあと警察官は帰って行きましたが、その日以来、外で子供のお尻を叩くのは禁止となり、室内のトイレで叩くようになります。

それ以来会場内には「ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません、もうしません、許して、お願いおかあさん! ムチは嫌ーっ!」という子供の声の後に、「ぱんぱんぱんぱんぱんぱんぱんぱん・・・・・・」とお尻を連続で叩く音が続き、「うぎゃーっ!」という子供の絶叫が会場内に響き渡り、それを聞いた姉妹達は、満足げにうなずいて顔色一つ変えないという時代になって行きます。

また、当時の大会会場では女子トイレとか、大会会場の女子トイレが狭い場合は、授乳やおむつを換えるために用意された部屋でムチが始まります。大会で休憩時間に入った後、血相を変えた母親が子供を女子トイレに連れ込み、何人もの姉妹が見ている前で、いきなり子供のパンツを下げて手で叩くという時代になりました。(その罪名は、単に講演中にむずむずしたからと言う理由で、)

この時代のムチは20回と回数が決められていましたので、トイレにいる姉妹達は母親がお尻を叩く回数を数えていて、母親が興奮して20回以上叩き出すとやめさせる、と言う時代でした。だいたい休憩時間5分後からムチが始まり15分後にはあらからの子供は叩き終わるという感じで、休憩時間ごとに、その10分間の間に5人から15人位の子供が次々にトイレに連れ込まれて叩かれるという状況でした。これは私が見た平均ですが、大会会場にトイレは必ず複数あるので、女子トイレの数だけ子供が叩かれていました。

そして、トイレの外には自発奉仕の申し込みににあぶれた姉妹10人位が必ず見張りに立って、バッチを着けていない一般人や、バッチを着けていても明らかに研究生とわかる人が女子トイレに近づいた場合は、見張りの姉妹がトイレ入り口のドアを数回ノックしてムチをやめさせ、不審者が通過した後にドアを開けて首をつっこみ「姉妹いいわよ」と声をかけるようになります。これは、東京ドームが東京競輪場だった時代の全国規模の大会会場で毎回繰り広げられていた、ごく当たり前の光景です。

また、子供をムチで叩きなれていない母親とか、最近研究生になってムチを指導された母親が、女子トイレの前とか(小学校高学年の場合)女子トイレの中(小学校低学年の場合)で子供と一緒にいて、ムチで叩かれる子供を見学させて自分の子供の心に恐怖心与えてムチの教育をするという事が大会ごとに繰り広げられていました。

私の母親もその口で、私が小学校3年生になるまで、大会の休憩時間になると真っ先に女子トイレの中に私を連れ込み(休憩間開始3分以内)よちよち歩きの幼児から小学校低学年の児童がお尻を叩かれるのを毎回必ず私に見学させました。

これにより私は完全にムチ恐怖症になり、心の中に大きな傷が付き、親が一言「ムチだよ」と言うだけで従順な子供になって、反抗期なんて絶対にできない、完全に骨抜きにされた弱い子供になってしまいます。


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