よくJW2世達はムチで毎日叩かれ続けていると勘違いする人がいますが、この時代は実際に叩かれるやんちゃな子供は少数で、こうやって毎回、大会のトイレで見学させたり、毎週の王国会館のトイレでムチで子供が叩かれるのを子供に聞かせるさせることにより、子供の心に自分がムチで叩かれた時の恐怖を想像させて、子供の心にムチの恐怖のトラウマを作らせて従順な2世にするのが正しい子供の育て方でした。
そして、当時の組織側の見解は、「もしムチで子供の心が壊れたとしても、楽園に行けばエホバ神が全て治して下さるので何も問題は無い」という考え方でした。
正直言って実際にムチで叩かれる痛みより、このムチを想像する恐怖の方が怖かったですね。子供は想像力が旺盛ですから必要以上にムチに怯えます。
この頃は、80年代になってから使い出す、水道ホース、ガスホース、布団叩き、鉄製チェーン、木のハンガー、樫の棒、アクリル棒、ステンレス製の靴べら、電気コード、自動車牽引用ワイヤーを短く切ったムチを使うなんて誰も考えもしませんでしたから、竹のものさしとか、足踏み式ミシンの皮ベルト、組織指定の女性用のウェストベルト、準指定の男性用の細いベルトがムチの主流でした。
そして安くて手軽で便利だからと使いやすく短く切った水道ホースをムチとして使う母親姉妹がいると、それは野蛮な道具だからやめろと母親姉妹達に指導され、足踏み式ミシンの皮ベルトをムチとして勧められる時代でした。
私も大会のたびにムチを見学させられるのに嫌気がさして、小学校2年の頃から男性用のトイレに行かせてくれと頼みましたが母親がなかなか許してくれず、小学校3年になってやっと許可されて男子トイレに行けるようになりました。
そしてやっと解放されて男らしく男子トイレで用をたせるようになったのはいいんだけど、そうなると女子トイレの中は男の子にも禁断の世界になりますから、中で何が行われているのか全然わからなくなります。たまにムチがどうなっているのか気になって女子トイレに突撃してみると、もはや私は完全に不審者扱いで、私のせいでムチは中止されて絶対に見ることが出来ませんでした。
毎回大会の休憩時間の時にムチが始まると、女子トイレの前には見張り役の自発奉仕の姉妹達が必ず立っていますからムチをやっているんだなとわかりますが、具体的に中でどうなっているのかは完全に想像の世界になります。ムチはだいたい10分で全員終わりますから、ムチが終わると見張りの姉妹達はさっといなくなり、あぁ、ムチは終わったんだなってわかるくらいですね。
私も小学校高学年になるとムチで叩かれることはほとんどなくなりましたが、この頃になると私の人間としての感覚も完全に異常になっていて、2世の子供にはムチは絶対に必要で、2世の子供にムチをするからこそ正しいエホバの証人になれる。もし2世にムチをしなければ、絶対にまともなエホバの証人にはなれない。というふうに考え方が変化していきます。
集会中に子供がむずむずし出すと、その子供がどうにも許せなくなり、姉妹達は何をしているのかと2世達が姉妹達を見ます。その視線に気が付いた姉妹達は姉妹同士で目線を交わしあい、人差し指で該当する子供の母親を指さし始めます。すると、一番近くにいる姉妹がその母親の背中を軽く指でつつき、その母親は子供を引っ張ってトイレに連れ込みます。
すると、いきなり状況が変わって自分の身に起きる悲劇に気づいた子供は「ごめんなさい、ごめんなさい、おとなしくします、もうしません、もうしません」と言いながらトイレに連れ込まれ、30秒位経ってから、「ぱんぱんぱんぱん」と音が聞こえだして、「うぎゃー!」という絶叫が会場内に響き渡ります。
しかしだれもそれを止めないし、特に子供がかわいそうとも思えず、私も当然ながら顔色一つ変わらずに「がんばれよ、みんなそうやって正しいエホバの証人になって行くんだよ、エホバに感謝しなくちゃね」と思っていました。
この時代の自分の異常な考え方や感覚はうまく説明できませんね。自分がムチで叩かれたからこそ、まともなエホバの証人になれたと組織に洗脳されていたとしか言いようがありません。それが週3回の当たり前の日常でしたから、JWを辞めてしばらく経って気が付くまで、自分の心の中にムチのトラウマがあったなんて感覚は一切ありませんでした。
毎週3回こうやってムチで叩いていれば、トイレとはいえ子供の悲鳴が外に漏れるのは当たり前ですから、1970年代初頭の日曜日になると、必ず王国会館の近くにパトカーが常駐する事態になります。最初は3ヶ月間は連続で常駐、その後は月に2回位常駐に変わっていき、警察がJWをマークしているのは明かでした。
しかし、マークされた当人達はいたってのんきなもので、社会常識からして異常な事をしているという意識は一切無くて、平和で友好的なJW信者が警察にマークされるのは何かの間違いで、いつか誤解が解けるだろうとのんきに考えていましたので、当時中学3年生で兄弟になったばかりの私はパトカーの中の警察官に目ざめよをプレゼントして、一緒に研究をしないかと証言までしていました。
この頃から王国会館の中でのムチは急に少なくなり、たまにむずがる子供がいると親は子供を外に連れ出し、叩かずに落ち着くまで一緒にいて、落ち着いてから会場内に戻るというパターンになり、それまで母親姉妹達が自慢げに話していたムチの話が急に聞こえなくなったので、中学生の私は警察のおかげで王国会館のムチは廃れたと思いこみ、警察に感謝していました。