でも実際は家庭内に持ち込まれただけでムチは廃れていませんでした。長老がムチは家で叩くように母親達に指導していたんですね。

私はこの後、自分から志願して排斥されてJWをやめるわけですが、のんきなことに、警察のおかげでムチは完全に廃れたと思っていましたので、JWには家庭で叩くムチはあっても王国会館で叩くムチはもうないと思っていました。

それは、当時の2世の間の噂があって、沼津ベテルには第2会場というガラス張りの防音設備のついた会場があって、そこでは子供がむずがっても他人には迷惑をかけないですむからムチで叩く必要はない、これから新しくできる王国会館には第2会場が必ず併設されるそうだから王国会館でのムチはもう必要なくなるだろう、と言う噂を信じていたからです。

ところが実際には、新しい王国会館が建設され第2会場が出来た後は、物置や事務所が第3会場と呼ばれてムチ部屋となったと聞いたのは、私が40代になってオフ会で元2世達に会ってからでした。

そして私がJWを辞めた後、「家族生活」(私はこの書籍を読んでないから内容は全然わからない)という本が出てからは、家で訓練(ムチ)してから集会へ、王国会館は訓練(ムチ)の場所ではないと言うことになりました。そして、ムチは家庭内の躾の時代となって、よほど親しい関係でないとJW指導の元に行われる家庭内のムチの状況が全然わからない時代となりムチが陰湿化していきます。

さらに80年代になってからはムチのルールが変わり、私がいた1970年代のムチの20発制限がいつのまにか解除されて100発以上OKとなり、聖書を前に子供に納得させるのもうやむやとなって、お説教の後ムチになり、ムチの種類も、竹のものさしとか、足踏み式ミシンの皮ベルト、女性用のウェストベルト、男性用の細いベルトのみ使用OKだったのが、水道ホース、ガスホース、布団叩き、鉄製チェーン、木のハンガー、樫の棒、アクリル棒、ステンレス製の靴べら、電気コード、自動車牽引用ワイヤーを短く切ったムチなど、ありとあらゆる物がムチとして使用OKとなり、さらにげんこつで顔を殴りつけるのもOKとなり、逆さにして風呂の水の中に長時間浸けるとか、頭から水をかけて素っ裸にして寒空の中、長時間外に立たせるのもOKとなって行きます

ここらへんになると当時のJWの教理を知らない私にはどうにも説明不能で、(つーか、完全に理解不能です)そう言う体験をしてきた元2世達から聞いた話をそのまま書くだけです。

そして1993年11月に、当時4歳の男の子がJW組織指導の訓練(ムチ)で亡くなってしまうという痛ましい事件が起きてしまいます。

日刊紙「赤旗」1994年8月8日付けに報道された記事

(記事のスキャン画像)

エホバの証人「せっかん死」事件
http://www.jwic.info/abuse.htm

こういう不幸な事件が起きた理由を推察するに、JW組織は1980年代になってからは、とにかく新しい信者を増やすためにハルマゲドン7年周期説により定期的に信者を滅びの恐怖と楽園の希望で煽っていましたので、私の時代の組織側の見解、「もしムチで子供の心が壊れたとしても、楽園に行けばエホバ神が全て治して下さるので、何も問題はない」とう考え方がエスカレートして、「もしムチで子供が死んだとしてもエホバ神が楽園で復活させてくれるから大丈夫」に変わるほど子供の訓練(ムチ)がエスカレートして、起こるべくして起きた不幸な事故なのでしょう。

*** 偉大な教え手に聞き従う(1972年) 32-3 7 従順はあなたを守る ***
エペソ書 6章1,2,3節を読んでみましょう。「子どもたちよ,主と結ばれている親に従順でありなさい。これは義にかなうことだからです。『あなたの父と母を尊びなさい』とあり,これは次の約束を伴う最初の命令なのです,『あなたにとって物事が順調に行き,あなたが地上で長らえるためである』」。これは聖書のことばです。ですから,あなたのおとうさんやおかあさんに従順でありなさい,と命じておられるのは,エホバ神ごじしんなのです。あなたのおとうさんや,おかあさんを「尊ぶ」とは,どういう意味ですか。― それは,おとうさんやおかあさんを尊敬するということです。おとうさんやおかあさんのことばに耳をかたむけ,いわれたことを,不平をいわずに行なわなければなりません。しかも,神は,あなたが従うなら,『あなたは無事に過ごせる』でしょう,と約束しておられるのです

*** あなたの家族生活を幸福なものにする(1979年) 132 10 愛をもって懲らしめる価値 ***
5 体罰は子供の命を救うものともなります。なぜなら,神のみ言葉聖書には,「単なる少年から懲らしめを差し控えてはならない。あなたが彼を細棒でたたいても,彼は死なない。細棒をもってあなたは彼をたたくべきである。その魂をシェオールから救い出すために」とあるからです。さらに,「愚かさが少年の心に結び付いている。懲らしめの細棒がそれを彼から遠くに取り除くものとなる」とも述べられています。(箴 23:13,14; 22:15,新)子供の生がいにわたる利益を大切に考える親なら,弱気を出したり,うっかりしたりして,懲らしめを与えずにすますようなことはないでしょう。必要なときには愛を動機として賢明かつ公正な処置を講じます。


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