【ムチのまとめ】

では、私が体験した60年代から70年代のムチについてまとめてみます。話の前提として、JWのムチの指導が無い時代、米軍立川基地のサンディ家を基本として、東京にあった米軍立川基地B会衆のJW白人家族達、及び、私が基地内のスクールバスのバス停で聞きまくった、たくさんの白人WASP家庭の子供達から聞いた、家庭内の罰の話をまとめてアメリカ式ムチとして、JWのムチ実施後に、私が渡り歩いた東京と北海道の多数の会衆や大会会場で実際に見聞きしたムチをJW式ムチとします。

【振り返って考える、60年代から70年代のムチのまとめ】

【なぜJWはムチなのか?】
JWがアメリカの宗教だから。当時のアメリカ白人WASP社会で常識だった子供への伝統的体罰と、キリスト教修道院の自主的体罰を利用した、アメリカ式の価値観の押しつけと、その効果的運用。

【JWのムチに隠された本当の目的】
2世として生まれた子供達を強制的にJW信者にさせる目的と、ムチの恐怖により従順にさせて、伝道と集会の時によい子を演じる2世の子供達を、一般人や新人研究生に見せて感動させて、一人でも多くのJW信者を増やすため。

【アメリカ式ムチの目的】
アメリカ式ムチの目的は、子供に罰を与えると同時に、子供の心に独立心を養って、大きくなったら子供が親元から離れて自立して行くための、フロンティア・スピリッツ育成の目的がある。

【JWのムチの目的】
JWのムチの目的は、子供に罰を与えると同時に、子供の心に出来つつある、独立心を早めに叩き潰して、親に対する依頼心を強め、親とJW組織から絶対に離れられないようにする目的があり、叩く時にパンツを下げさせる事により、異常なほど強い性に対する罪悪感と潔癖感を植え込み、世の中に通用しない正しいエホバの証人にする目的がある。

【アメリカ式ムチ実施上の注意点】
事前に罰のルールを子供に説明して、子供の意見も一部取り入れ、親と子供が罰の契約する。ムチはルールに違反し続けた子供に対する最後の手段としての罰の一種とする。(通常の罰は、椅子に正しく座って1時間沈黙する罰、米軍立川基地B会衆では、正座1時間か椅子で2時間の選択式の罰)ムチの時は親はあらかじめ子供と約束していた回数分力一杯ムチでお尻を叩くが、子供の人格を壊す目的で叩くのではないからパンツは下げない。ムチはインターバルを置き、必要以上に子供の体に痛みが残らないように配慮する。
(インターバルの例:TV番組、"大草原の小さな家"のムチシーン)

そしてムチで叩いた後は絶対に子供を抱きしめない。その理由は、ムチの後で親が子供を抱きしめるのは、子供の心に出来つつある独立心を阻害してしまうので、子供の心の育成のために絶対に良くないから。

【JW式ムチ実施上の注意点】
新人の母親研究生に対しては会衆内の古手の母親姉妹がムチを指導する。子供が幼児の場合は親が問答無用でパンツを下げて手で力一杯20回叩く。話がわかる年頃の子供は、親が聖書をベースに長時間納得するまで子供に言い聞かせて、子供が根負けして、ムチを親にお願いする形にしてから、子供に自主的にパンツを下ろさせて、組織指定のムチで力一杯20回生尻を叩く。その後、親が子供をムチで叩いた後に「必ず」子供を抱きしめるようにとJW組織が指導しているので、親は必ず子供を抱きしめる。

このやり方により、子供の心に出来つつある自立心や独立心の成長が阻害されて親に対する依頼心が増えて親離れ出来なくなり、性に対する罪悪感が異常に増して、性に対する嫌悪感や潔癖感の強い子供になり、反抗期に親に反抗できないように自立精神を叩きつぶして子供の人格を壊す。また、大会会場の女子トイレでムチを見学させたり、王国会館のムチ部屋で行われるムチを聞かせて、子供にムチに対する恐怖を作り上げて心に深いトラウマを作ることができるので、組織のもくろみ通りに子供の人格を改造して、JW組織に従順に従う理想的なエホバに証人にすることが出来る。
(80年代になってからは回数制限は解除、子供が気絶するまで叩くのも可)

これにより、現役時代には自分の心にムチのトラウマがあるなどとは一切気づかずに生活できて、JWをやめてしばらく経ってから自分の心にムチのトラウマがあるのに愕然とする。(それが嫌ならJWをやめなきゃいいだけだよね(苦笑)

【ムチの指導の役割分担】
ムチの指導は会衆内の女性文化になっているので、基本的には会衆内の古手の母親姉妹による指導が原則。その他、長老によるワンポイントアドバイス。

但し、組織から明確な指示があっても、時間が経つとすぐに形骸化してしまうのが会衆内の女性文化なので、日本各地の会衆のローカルルールにより、まったく叩かない会衆もあれば、死ぬほど叩く会衆もある。だから男性信者の場合、JWにムチは無いとはっきり言い切る脳天気な人が必ず出てくる。
(含む、現役生活最後の頃の間抜け兄弟だった私)


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