・・21節
1.『知識』は、「子供たちが、懲らしめを受けておびえたり、見捨てられたと感じたり、自分は生まれつき悪い人間なのだと思い込んだりするようなことがあってはならない」ということを読者に説得するため、エレミヤ46:28の聖句を引用します。すなわち、「エホバはご自分の民を矯正する前に」(バビロン捕囚という裁きの前に)、イスラエルの民と共にいることを約束したことを取り上げ、親も子に対し同じ姿勢をとるよう勧めています。あなたは、この類比が適切だと思いますか。

2.神がイスラエルの民をバビロン捕囚によって裁かれたとき、神の聖さと罪の恐ろしさを自覚させるため、徹底したものであったことは明らかです。そのとき、イスラエルの民が神によって見捨てられてしまった、と感じていたことは、エレミヤ哀歌を一読すれば明らかです(イザヤ40:27など参照)。

*** 新世界訳聖書 イザヤ 40:27 ***
27 「どんな理由があって,ヤコブよ,あなたは言うのか,イスラエルよ,あなたは言い立てるのか,『わたしの道はエホバから覆い隠された。わたしに対する公正はわたしの神ご自身をよけて行く』と。

神は、民が「懲らしめを受けておびえたり、見捨てられたと感じたり、自分は生まれつき悪い人間なのだ」と自覚することを望んでいたのです。では、エレミヤ46:28が教えている真理はどういうことでしょうか。それは、神は、たとえ民がそのような厳しい裁きを受けたとしても、ご自身の民に対して無限の愛をもって支え続ける方であることを証詞された、ということです。

*** 新世界訳聖書 エレミヤ 46:28 ***
28 あなたについていえば,わたしの僕ヤコブよ,恐れてはならない』と,エホバはお告げになる,『わたしはあなたと共にいるからである。わたしはあなたを追い散らしたすべての国の民の中で滅ぼし絶やすことをするからである。しかしあなたについては,滅ぼし絶やすことをしないであろう。とはいえ,わたしはあなたを適度に打ち懲らさなければならない。あなたを処罰せずに置くことは決してない』」。

*** 新改訳聖書 エレミヤ書 46:28 ***
わたしのしもべヤコブよ。恐れるな。――主の御告げ。――わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは、あなたを追いやった先のすべての国々を滅ぼし尽くすからだ。わたしはあなたを滅ぼし尽くさない。公義によって、あなたを懲らしめ、あなたを罰せずにおくことは決してないが。」

神の絶対的な愛に基づく保証の言葉は、親が子どもの心や気持ちを考えて戒めることとは大きな違いがあります。聖句を引用して比較するときは、表面的な現象ではなく、基本的な点で一致しないと誤解されてしまうと思うのですが、いかがでしょうか。

*** 知識 146〜149ページ 神に誉れをもたらす家庭を築く ***
「巧みな指導」を得る

22 わたしたちは,幸福な家庭を築くのに必要な道具をエホバが与えてくださることに感謝できます。とはいえ,道具を持っているだけでは十分ではありません。その正しい用い方を練習しなければなりません。例えば,道具の使い方の悪い癖がついてしまった大工さんがいるとしましょう。その人の幾つかの道具の使い方は完全に間違っているかもしれません。そういう事情であれば,その人のやり方で作られる物はきっと見劣りのするものとなるでしょう。同じように今あなたは,自分の家庭に入り込んでいる不健全な習慣に気づいておられるかもしれません。ある種の習慣は深く染み込んでいてなかなか変えられないこともあるでしょう。それでも,次の聖書の助言に従ってください。「賢い者は聴いて,さらに多くの教訓を取り入れ,理解のある者は巧みな指導を得る人である」―箴言 1:5。

・・22節
1.「その正しい用い方を練習しなければなりません」という文章は、結局、聖書の原則を実践するため自分の努力を重ねなければならないことを強調しています。実は、『知識』が述べていることは、聖句(それも厳密に言えば、そのほとんどが、家庭建設とは直接関係がないものですが)を用いている以外は、世の中に出回っている「ハウ・トゥーもの書物」とは何等変わりません。聖書が教える「子供の育て方」、「幸福な家庭を築く築き方」とは、はたしてそのようなものなのでしょうか。

2.では、聖書の教えはどのようなものでしょうか。聖書は、家庭を築くという前に、まず、人間が贖われねばならないことを強調しています。そうです。人間は、まず、自分の無力さ、罪深さを自覚する必要があります(マルコ7:20-23、ローマ3:10-18)。

*** 新世界訳聖書 マルコ 7:20-23 ***
20 さらにこう言われた。「人から出て来るものが人を汚すのです。21 内側から,つまり人の心から,害になる推論が出て来るのです。すなわち,淫行・盗み・殺人・22 姦淫・貪り・邪悪な行為・欺まん・みだらな行ない・ねたむ目・冒とく・ごう慢・理不尽さです。23 これら邪悪な事柄はみな中から出て来て,人を汚します」。

*** 新世界訳聖書 ローマ 3:10-18 ***
10 こう書かれているとおりです。「義[人]はいない,一人もいない。11 洞察力のある者はいない,神を探し求める者はいない。12 すべて[の人]が[道から]それ,みな共に価値のない者となった。親切を行なう者はいない,一人すらいない」。13 「そののどは開かれた墓,彼らは舌で欺まんを弄した」。「毒へびの毒が彼らの唇の裏にある」。14 「またその口はのろいと苦いことばで満ちている」。15 「彼らの足は血を流すのに速い」。16 「破滅と悲惨が彼らの道にあり,17 彼らは平和の道を知らない」。18 「彼らの目の前に神への恐れはない」。


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