1974年

*** 目ざめよ! 74 10/22 14‐15ページ 子どもに対して何を行なえるか ***
それゆえ親は,子どもが一定の限度を踏み越えた場合には必要な懲らしめを与えて,子どもに対する配慮を示すことが必要です。霊感を受けた聖書の箴言はこう述べます。『おろかなること子の心の中につながる 懲らしめのむちこれをおひいだす』―箴 22:15。

懲らしめはことばで正す以上の形を取ることが時に必要です。それは,聖書も述べるとおり,人は『ことばで戒められても改めず 知っていながら従わない』場合があるからです。(箴 29:19)したがって,神のことばはさらにこう勧めます。『子を懲らすことをせざるなかれ むちをもて彼を打つとも死ぬることあらじ もしむちをもて彼をうたばその魂を陰府[墓]より救ふことをえん』―箴 23:13,14。

子どもの命そのものがかかっているのです。誤った道を追い求めるままに放任されるなら,それは子どもの不幸,また神の恵みの外での死という結果にもなります。それゆえ聖書はこう述べます。『むちを加へざる者はその子を憎むなり 子を愛する者はしきりにこれをいましむ』―箴 13:24。

そうです,しりをぴしぴしとたたくことを含め,自分の子どもを正すために親がなんでも手を尽くすことは,子どもに対する本当の愛の表われです。世の権威者たちは,懲らしめに関するこうした神の助言を退けていますが,そのことがただ家庭の問題を増し加える結果になっています。―箴 29:15。

1975年

*** ものみの塔 75 4/1 206‐207ページ あなたは感謝を示しますか ***
7 この質問に答えるには,家庭内で,懲らしめを与えること,また受けることに対してどんな態度が示されるかを考えてみる必要があります。子どもを愛している父親は,子どもに必要な懲らしめを与えるように気をつけます。(箴 13:24)箴言は,4章1節(新)で,懲らしめの価値を認めることを勧め,次のように述べています。「子らよ,父の教えに耳を傾け,注意を払いなさい。さとりを得るためである」。懲らしめは必ずしも矯正手段として課される,あるいは苦しみによって鍛錬するために加えられる罰であるとは限りません。辞書によると,「懲らしめ」の第一義は,「弟子もしくは学習者に適した扱い。すなわち教育。身体,知能,道徳のいずれの面にせよ,教え,修練,訓練などによって能力を開発すること」となっています。ですから,父親が懲らしめを与えるということについて書いてあれば,子どもたちにがみがみと物事を命令する,そして子どもたちが言いつけられたことをしなければただぶつだけの男を想像すべきではありません。わたしたちが言っている父親というのは,子どものことを本当に心配し,子どもといっしょに時を過ごし,子どもの身体と知能と道徳心の発達に大きな関心を抱いている父親のことです。そのような父親は自分の子どもが,自分と同じく神と神の道を知るようにしてやりたいと思います。

1976年

*** 目ざめよ! 76 11/8 10ページ 子供に対する虐待 それに関してあなたの行なえる事 ***
確かに,子供が故意に“わんぱくな"振舞いをするため,親が不愉快に思うのも当然な場合もあります。そして,前述のとおり,文字通りの「むち」を使って懲らしめることが必要になるかもしれません。しかし,親は懲らしめを与える際に決して自制心を失ってはなりません。

1977年

*** ものみの塔 77 11/1 644ページ 自己鍛練は賢明な行為 ***
ですから神の言葉の助言は適切です。「愚かなことが子供の心の中につながれている,懲らしめのむちは,これを遠く追いだす」。「子を懲らすことを,さし控えてはならない。むちで彼を打っても死ぬことはない。もしむちで彼を打つならば,その命を陰府から救うことができる」―箴 22:15; 23:13,14,口。

1978年

*** ものみの塔 78 12/1 5ページ 真の宗教はどのように若い人々を益するか ***
親の権威には懲らしめの「むち」が含まれています。箴言 23章13,14節(新)の言葉はこうです,「単なる少年から懲らしめを差し控えてはならない。杖で打ちたたいても,彼が死ぬことはない。杖をもって彼をたたくべきである。その魂をシェオールから救い出すために」。与えられた懲らしめが正当なものではないように子供には思えることが時にあるかもしれません。しかし子供は次の事を忘れてはならないのです。つまり親はその権威の行使に対して神の前に責任があり,さらにたとえ懲らしめが正しく与えられていなくても,神はそれが従順な子供の益となる結果を生むようにしてくださるという事です。―ローマ 8:28。

1979年

*** 目ざめよ! 79 8/8 29ページ 子供に体罰を与えるのは正しいことですか ***
しかし,愛ある懲らしめには,親がおしりをたたくことも含まれますか。神の言葉は,それが愛の一つの表現として行なわれ,愛に調和した方法でなされるなら,確かに愛ある懲らしめに含まれると述べています。霊感を受けた書物,箴言からの次の幾つかの聖句を考慮してください。

「愚かさが少年の心に結び付いている。懲らしめの杖がそれを彼から遠くに取り除く」。(22:15)「単なる少年から懲らしめを差し控えてはならない。あなたが彼を杖で打ちたたいても,彼が死ぬことはない。杖をもって彼を打ちたたくべきである。その魂をシェオールから救い出すために」。(23:13,14)「むち棒を控える者は自分の子を憎んでいるのであり,子を愛する者は懲らしめをもってこれを待ち望む」。(13:24)―新世界訳。

ここに言及されている「杖」は,親から与えられるさまざまな形の懲らしめを指していますから,もちろん,体罰も含まれます。手で行なうにせよ,ものさしや他の適当な「杖」で行なうにせよ,親は愛を込めて子供たちを訓練する際に,体罰を与える権威を神から与えられています。


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