なぜ2世はムチなんだ? 後編
ものみの塔協会は、エホバの証人の子供には懲らしめが必要だとして、宗教の名の下に具体的な体罰を指導しています。その事実をものみの塔の出版物から検証します。
今、研究生をやっている人はこの情報をよく知っておいた方がいです。あなたの子供が回復不能のトラウマを抱えてからでは手遅れです。
時間は戻ってきません。後で一生の不覚と嘆く前に、いま正しい知識を手に入れてください。
情報ソース:Watchtower Library のCD-ROMより引用
■「ものみの塔」は毎週日曜日に行われる「ものみの塔研究」という集会で使われる教理の教科書です。
■「目ざめよ!」は教理の参考書の位置づけになります。
■「王国宣教」はある一定の条件を満たした信者(伝道者以上)のみが読むことが出来る出版物で、毎週木曜日に開かれる「神権宣教学校」「奉仕会」という集会で、ものみの塔の布教訓練を受ける時に使われる教理の教科書です。
1970年
*** ものみの塔 70 12/15 743ページ 家庭生活の真の幸福を味わう ***
子どもに対する親の監督
家族の中の若い人たちが問題を起こすため,家庭生活に不幸を招く場合がよくありますが,なぜそうした問題が生ずるのですか。非行の増加に伴って目につくのは,親の放任主義ですが,聖書は,「任意になしおかれたる子」は恥をもたらし,『おろかなることが子の〔心臓〕の中につながれており,懲治のむちがこれをおひだす』と警告しています。―箴言 29:15; 22:15〔新〕。
1971年
*** ものみの塔 71 6/1 325ページ 家族の研究は祝福 ***
幼い時から始める
敬虔な節操は子どもたちの中に生まれるものではありません。それどころか,「愚かさが少年の心臓と結びついている。懲らしめのむちは,それを遠くへ追いやるものとな(り)」ます。(箴言 22:15,新)誤った傾向に対抗するため,子どもたちを幼い時から正しく訓練することが必要です。―詩 51:5。
1972年
*** ものみの塔 72 1/15 47‐48ページ お子さんは問題をあなたに打ち明けますか ***
25 教訓が所期の目的を果たすには,矯正のための懲らしめを伴わねばなりません。子どもを懲らしめることは,幼児のときから始めてください。そうすれば,成長する子どもは,他の若者に見られるような問題を持たずにすみます。「子をその道に従ひて教へよ 然ばその老たる時も之を離れじ」。また,「凡ての懲戒,今は喜ばしと見えず,反って悲しと見ゆ,されど後これに由りて練習する者に,義の平安なる果を結ばしむ」とあるとおりです。―箴言 22:6。ヘブル 12:11。
26 懲らしめを施すさい,むちを用いることを躊躇しないでください。「痴なること子の心の中に繋がる 懲治の鞭これを逐いだす」。「子を懲すことを為ざるなかれ 鞭をもて彼を打とも死ることあらじ もし鞭をもて彼をうたばその〔魂〕を〔シェオール〕より救ふことをえん」としるされています。―箴言 22:15; 23:13,14〔新〕。
1973年
*** ものみの塔 73 12/15 748‐749ページ 子どもにはどんな訓練が必要ですか ***
懲らしめの必要性
19 しかし,神のみことばに基づいて子どもを教え導くことが効果的に行なわれるためには,そこに愛の懲らしめが含まれねばなりません。それは,子どもの生来の傾向が善を行なうことに向かってはいないからです。霊感のもとに記された聖書の箴言が述べるとおりです。『おろかなること子の心のうちにつながる 懲らしめのむちこれをおひいだす』。(箴 22:15)ここで言う『懲らしめ』という語は,人を形造り矯正するための訓練という意味を含んでいます。それには,子どもが自然にそれに従うようになるまで,幾たびも繰り返し教え諭すことが伴っています。しかし,懲らしめにはさらにそれ以上のものが含まれます。たいていの親がよく知るとおり,子どもはただことばだけでは行ないを正さない場合が少なくありません。(箴 29:17,19)それゆえ,懲らしめを伴う訓練の課程の中には,ときに懲罰や処罰を与えることも含まれます。それは,子どもを正すことを目的として施されるものです。