1984年
*** 目ざめよ! 84 9/8 21‐22ページ 「うちの子は活動過多だろうか」 ***
活動過多か,それとも懲らしめの欠如か
お子さんを活動過多と決める前に,注意を一言。一貫性があり,き然としていて,しかも愛情のこもった懲らしめを施すことを親の側が怠っているために,子供が手に負えない振る舞いをしたり,悪さをしたりしていることはないか,調べてみなければなりません。子供は,大抵,自分の思うとおりにならないと,かんしゃくを起こしたり,いら立ったり,言うことを聞かなくなったり,周りの人に迷惑をかけたりします。人間行動に関する,世界でも指折りの権威者の一人は,次のように述べました。「子供たちがばかげた,そそっかしい事をするのはもっともなことだが,十分にお尻をたたけば行儀よくするよう子供を教えられる」―箴言 22:15,今日の英語聖書。
しかし,活動過多の子供の場合,お尻をたたくことは解決にはならないかもしれません。事実,もっとひどいかんしゃくを起こさせることになりかねません。それは,ある医師が述べているとおり,「その行動は子供自身どうすることもできないもの」だからです。したがって,懲らしめに対する反応は,子供の状態を知るもう一つの手がかりとなります。活動過多の子供を持つ母親はこう語っています。「ほかの人たちは私のところへやって来て,『息子さんはこんなことをした』,『あんなことをした』と言います。友だちの意見で特に一致していたのは,息子にはおしおきがまだまだ足りないということでした。とんだお笑い草です! うちのちびちゃんはずい分たたかれました。それに生き残っているのが不思議なぐらいなんです」。
活動過多の子供は普通の子供と違って,言い聞かせる方法であれ,何かを取り上げる方法であれ,あるいはお尻をたたく方法であれ,その方法には関係なく,懲らしめが効かないようです。懲らしめを受けたそばから同じことをします。子供が何人かいて,どの子にも同じように懲らしめを与える親なら,そのことがすぐに分かります。ですから,活動過多の子供の場合,懲らしめは必ずしも解決策とはなりません。
1985年
*** 王国宣教 86/5 8ページ 親の皆さん―あなたの子供を野外奉仕で訓練してください ***
6 まだバプテスマを受けてはいない多くの若い人たちが野外奉仕にあずかっています。わたしたちはそれら若い人たちが共にいることをうれしく思っています。(マタイ 19:13‐15)彼らは献身が意味している事柄を十分に理解するにはまだ若すぎるかもしれません。しかし時間は静止することがありません。それで親は,進歩し,ふさわしい時に献身とバプテスマの段階を踏む必要を理解するよう子供を助けるべきです。あなたの子供はエホバの懲らしめと精神の規整にこたえ応じていますか。家庭や会衆で学んでいる事柄を適用していますか。わたしたちは,共にいる年若い伝道者たちが引き続き進歩し,エホバへの愛において,またエホバに仕えたいという願いにおいて成長するよう望んでいます。
1986年
*** ものみの塔 86 5/1 26‐27ページ あなたは懲らしめを受け入れることができますか ***
懲らしめは本当にそれほど悪いことか
クリスチャンには懲らしめが本当に必要ですか。イエスは,命に通じる道は『狭められている』と言われました。(マタイ 7:13,14)その道からさまよい出るのは容易です。では,辞書で「訓練」と呼ばれている懲らしめを受け入れるのは,賢明なことではありませんか。誤って道に迷い,まずいことに,危険な地域に近寄る旅行者の場合を考えてみてください。もし,見知らぬ人から元の道への戻り方を教えて上げようと言われたなら,その旅行者はどう思うでしょうか。自分には自分の望むところに行く権利があると主張して,怒ってその援助を退けるでしょうか。自分の権利を侵害することだとして,その親切な見知らぬ人を非難するでしょうか。多分,そうはしないでしょう。差し伸べられた援助に感謝することでしょう。
ですから,賢明なクリスチャンは,親切な懲らしめという形で差し伸べられる援助を感謝します。自分の年齢や人生経験にかかわりなく,預言者の述べた次のような言葉は真実です。「エホバよ,地の人の道はその人に属していないことをわたしはよく知っています。自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません」。(エレミヤ 10:23)ですから,わたしたちは皆,懲らしめを必要としています。
1987年
*** 王国宣教 87/6 2ページ お子さんの行儀は神をたたえるものですか ***
7 あなたは,野外奉仕における子供の行儀をも気にかけておられますか。『すべての事を神の栄光のためにする』よう訓練された子供は,親と共に奉仕にあずかっている時の行状によって人々に感銘を与え,人に真理を受け入れやすくします。しかし,逆もまた真実であることを忘れないでください。家から家の奉仕であれ,比較的に親しくなった人への再訪問や家庭聖書研究の業に携わっている時であれ,家の人の所有物に敬意を示し,傷つけたり汚したりすることが決してないようにすべきです。研究生の家でお菓子が出された時に司会者の子供が品位の欠けた振る舞いをするのを見てつまずいた人などについて聞くのは残念なことです。また,伝道中に道路を自由に歩く子供たちが交通事故にあったりするなら,非常に難しい問題になりかねないことを忘れないでください。
どのように育てるか
8 良い行儀の鍵は愛です。(ローマ 13:8‐10)神と隣人への愛があれば行儀は良くなるはずです。それで,親は子供を含めた研究を勤勉に行ない,子供の心に愛を教え込まねばなりません。同時に,愛の動機で懲らしめを与え,自分の好むことを行なおうとする傾向を子供の心から追い出すことにも努めるべきです。(箴言 22:15)そのようにして行儀の良い子供に育ててゆくなら,子供は,十代になっても成人してからもその行くべき道を離れないでしょう。―箴言 22:6。