1988年

*** 王国宣教 88/5 1‐2ページ 集会から一層益を得るよう子供たちを助けなさい ***
集会の出席の大切さを教え込む
2 永遠の命を得たいと思うなら,子供は聖書に基づく諭しを必要としています。(ヨハネ 17:3)霊的な事柄を認識することを学んで行くため,子供は集会に出席する必要があります。時々親は,子供が他の人たちの妨げになることを恐れるあまり,子供を集会に伴うことをためらいます。学校の宿題をさせるため,子供を家に置いてくる人もいるかもしれません。しかしながら賢明な親は,子供を集会に伴います。―申命記 31:12。

3 子供が幼い時から学ぶべき最初の事柄は,耳を傾けるために王国会館に行くということです。しかしもし,おもちゃや食物など,注意をそらす物がずっと与えられているなら,あるいは席で遊ぶままにされているなら,子供は,耳を傾けることを学んだり,王国会館での集会に出席する理由を認識したりするでしょうか。明らかに,他の子供たちよりも注意を集中している子供たちがいます。それでも賢明な親は,子供の行儀が悪い時には,お菓子やおもちゃを与えてなだめるのではなく,神の言葉の懲らしめを適用して,子供を矯正し,耳を傾けるよう愛をもって訓練します。―箴言 13:24。エフェソス 6:4。

1989年

*** 王国宣教 89/10 8ページ 新しい発表文書は敬虔な専心をもって自分を訓練するのに役立つ ***
若い人に対する答え
4 わたしたちは,若い人に対する率直な大会での話,そして「若い人が尋ねる質問―実際に役立つ答え」と題する本の発表に当たって特別な取り決めが設けられたことを長く記憶にとどめることでしょう。この本は若い人の益のために備えられたものですが,親の立場にある人たち,特に父親は,この本を用いて子供たちを訓練し,『エホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆく』面で率先するよう勧められました。(エフェソス 6:4)この本は若い人たちが敬虔な専心において自分を訓練してゆく助けとしてエホバの組織によって備えられたものです。それで,親子双方がこの重要な情報に十分精通する必要があります。

1990年

*** 王国宣教 90/6 5ページ 1990年「清い言語」地域大会においでください *** 26 子供たちが保護者のふさわしい監督のないまま,ホテル内のエレベーターで遊んだり,ロビーや通路を走り回ったりして,いたずらをしているといったことがありました。こうしたことはふさわしくありません。中には懲らしめられることもないまま無規律に行動していた子供たちや,彼らを親切な仕方で正そうとした年長の兄弟姉妹たちに対して敬意の欠けた態度を示した子供たちさえいました。このようなクリスチャンらしからぬ無規律な振る舞いは,家庭での何でも許容する傾向や訓練の不足の結果である場合が少なくありません。こうした状態は明らかに正されなければなりません。すべてのクリスチャンの親は「エホバの懲らしめと精神の規整とをもって」育てている子供をいつでも注意深く監督すべきです。―エフェソス 6:4。

1991年

*** 目ざめよ! 91 9/22 6‐7ページ 一目で好きになる―そしてその後はいつまでも ***
『わたしたちは泣くかもしれないけど,それが一番わたしたちのためになります』
懲らしめは多くの人にとって厄介な問題です。しかし,正しく与えられる懲らしめは,親の愛の肝要な部分です。ある少女はその点を認めました。そして,「ママへ,すてきなレディーへ」というカードを母親のために作りました。そのカードには,金色の太陽と,飛んでいる鳥と,赤い花の絵がクレヨンできれいにかいてありました。文面は次のようなものです。「これをママにあげます。わたしたちはみんなママが大好きだからです。このカードをおくって感謝の気持ちを伝えたいと思います。わたしたちがテストで悪い点をとったとき,ママはそれにサインします。悪い子になったときは,むちで打ちます。わたしたちは泣くかもしれないけど,それが一番わたしたちのためになることを知っています。……わたしが言いたいのは,ママのことが本当に大好きだということです。わたしのためにいろいろなことをしてくれて,本当にありがとう。大好きなママへ,キスをおくります。[署名]ミッシェル」。


戻る 前ページ 次ページ