以下の「あなたの家族生活を幸福なものにする」という本は、ムチ全盛時代に親を教育するために書かれた本で、その教育思想の基本は現在に至るまで変更がありません。
あなたの家族生活を幸福なものにする(1979年発行)
*** 家族生活 10章 132‐145ページ 愛をもって懲らしめる価値 ***
懲らしめのむち
5 体罰は子供の命を救うものともなります。なぜなら,神のみ言葉聖書には,「単なる少年から懲らしめを差し控えてはならない。あなたが彼を細棒でたたいても,彼は死なない。細棒をもってあなたは彼をたたくべきである。その魂をシェオールから救い出すために」とあるからです。さらに,「愚かさが少年の心に結び付いている。懲らしめの細棒がそれを彼から遠くに取り除くものとなる」とも述べられています。(箴 23:13,14; 22:15,新)子供の生がいにわたる利益を大切に考える親なら,弱気を出したり,うっかりしたりして,懲らしめを与えずにすますようなことはないでしょう。必要なときには愛を動機として賢明かつ公正な処置を講じます。
6 懲らしめそのものは,必ずしも罰を与えることに限られていません。懲らしめの基本的な意味は,「一定の秩序もしくはわく組みを堅く守る教育および訓練」です。ですから箴言 8章33節(新)は,『懲らしめを感じなさい』ではなく,「懲らしめを聴き,賢くなりなさい」となっています。テモテ第二 2章24,25節によれば,クリスチャンは「すべての人に対して穏やかで,教える資格を備え,苦境のもとでも自分を制し,好意的でない人たちを柔和な態度で諭すことが必要です」。ここに出ている「諭す」という語は,懲らしめに相当するギリシャ語の訳です。その同じギリシャ語はヘブライ 12章9節ではそのように訳されています。「わたしたちは,わたしたちを懲らしめてくれた地的な父親に然るべき敬意を払いました。霊的な父にはなおさらのこと進んで服して,命を得るべきではないでしょうか」―新英訳聖書。
7 悪行を大目に見て処罰しない支配者が市民から尊敬されないのと同様に,懲らしめることをしない親は子供から尊敬されません。正しい懲らしめは子供にとっては親が自分のことを気にかけてくれる証拠です。また,それは家庭の平和に役立ちます。なぜなら,「それによって訓練された人に,平和な実,すなわち義を生み出す」からです。(ヘブライ 12:11)どの家庭でも不従順で行儀の悪い子供はいらいらの種になります。また本人も決して幸福ではなく,自分に対してさえ満足できません。『あなたの子を懲らしなさい。そうすれば,あなたに休みをもたらし,あなたの魂に多くの喜びを与えるでしょう』。(箴 29:17,新)き然としたなかにも愛情をこめて正すと,子供はある程度新しい見方をするようになり新しく出直すことができ,気持ち良く付き合えるようになることが少なくありません。懲らしめは確かに『平和な実を生み出し』ます。
8『エホバは自分の愛する者を懲らしめられます』。(ヘブライ 12:6)子供の最善の福祉をほんとうに心に掛けている親も同じです。懲らしめは愛に基づいて与えられねばなりません。子供の悪行にかっとなるのはよくあることかもしれませんが,聖書が教えている通り,人は『苦境のもとでも自分を制する』ことが大切です。(テモテ第二 2:24)冷静になってみると,子供の罪はそう大したことではないように思えるかもしれません。『人の洞察力は確かにその人の怒りを遅くします。違犯を過ぎ越すことはその人の美です』。(箴 19:11,新。伝道 7:8,9もご覧ください。)子供がひどく疲れていたとか気分がよくなかったというような,酌量すべき事情があるかもしれません。言われていたことをすっかり忘れていたかもしれません。大人でもそういうことがあるのではないでしょうか。しかし,たとえ見過ごすわけにいかない悪行の場合でも,懲らしめは,前後を忘れてどなりつけたりぶったりする,親のいきり立った感情をぶちまけるだけのものとなってはなりません。懲らしめには諭すことも含まれています。親がかっと怒るなら,子供は自制することではなく自制を失うことを学びます。正しく懲らしめられた場合のような,親に鍛えられているという感じはありません。ですから,平衡を取ることは非常に大切です。それは平和に役立ちます。
しっかりした制限を設ける
9 親は子供たちのために指針を設けるべきです。『ああわが子よ,あなたの父のおきてを守り行ないなさい。またあなたの母の律法を捨ててはなりません。それらを絶えず自分の心に結び,自分ののどに縛りつけておきなさい。あなたが歩き回る時,それはあなたを導き,身を横たえる時,それはあなたの上に見張りとして立つでしょう。そしてあなたが目覚めた時,それはあなたに関心を向けるでしょう。おきてはともしび,そして律法は光,懲らしめの戒めは命の道だからです』。親の教えは子供を導き保護します。それは親が子供の福祉と幸福を気遣っていることの表われです。―箴 6:20‐23,新。
10 それをしない親は責任を取らねばなりません。古代イスラエルの大祭司エリは息子たちが貪欲で不敬で不道徳になるがままにまかせました。エリは息子たちに小言を言いはしたものの,その悪行をやめさせるために具体的な処置は取りませんでした。それで神は次のように言われました。「彼の知っている誤りのために定めのない時までわたしがその家を裁こうとしている。それはその息子たちが神をのろっているのに,彼は息子たちを叱責しなかったからである」。(サムエル前 2:12‐17,22‐25; 3:13,新)同様に母親もその務めを怠るなら恥辱を味わわねばなりません。『棒と戒めが知恵を与えます。放任された少年[あるいは少女]は自分の母に恥を来たらします』―箴 29:15,新。