懲らしめるときには意思の疎通を図りなさい

22 ある親は次のように自分の経験を語りました。

「息子が三歳のとき,わたしはうそがいけないことをよくよく言ってきかせました。箴言 6章16節から19節や他の聖句を使って,神がうそつきを憎まれることを話しました。息子はよく聞き,正しく反応しているように見えました。しかし,わたしは息子がどうもよくわかっていないように感じたので,『ねえ,ぼく,うそってどういうことかわかる?』と聞きました。息子は『わかんない』と言いました。このことがあってからわたしは,息子が言葉の意味と自分が懲らしめられている理由を理解しているかどうか,必ず確かめるようにしました」。

23 子供がまだ幼い間は,例えば熱いストーブにさわらせないようにするときのように,物を指差して“これだめ"と言うくらいのことしかできないかもしれません。しかし,そういう初歩の簡単な警告を与える場合でも,理由を教えることができます。ストーブは“熱い!"ので,またそれにさわると“やけどをする!"のでいけないと簡単に言うだけでもよいでしょう。しかし,言われることは自分の益のためになるという考え方を最初から子供に持たせるようにします。それから,親切,思いやり,愛といった資質が望ましいものであることを強調します。正しい規則や制限はすべてそうした特質に基づいて設けられていることを認識するように子供を助けます。また,ある行為がなぜそれらの望ましい特質の表われと言えるか,あるいは言えないかをはっきりさせます。このようなことを首尾一貫して行なうなら,子供の思いだけでなく心をも動かすことができるでしょう。―マタイ 7:12。ローマ 13:10。

24 同様に,従順であること,権威に対して敬意を払わねばならないことなども,少しずつ教えていく必要があります。生後一年の間に,子供が大人の命令を聞こうとするかしないかがわかり始めます。子供の知能がその段階にまで発育したらすぐに,神に対する親の責任を子供にしっかり認識させます。それをするかどうかによって子供の反応は大いに違ってきます。その認識がないと,子供はただ親が自分より大きくて強いので従わねばならないと考えるかもしれません。反対に,親が自分の考えを述べるのではなく,創造者のおっしゃること,神のみ言葉聖書に述べられていることを教えているのだと子供に理解させるなら,親の助言と指導は,他の何物も与え得ない力を持つものとなります。幼い子供の生活に難しい問題が入り込むようになって,男の子にせよ女の子にせよ,誘惑や圧力に面して正しい原則に付き従うことにストレスや緊張を感じるようになった場合に,このことは,必要な力の真の源となります。―詩 119:109‐111。箴 6:20‐22。

25「違犯を覆う者は愛を求めている。事をとやかく言う者は親密な人たちを引き離している」。(箴 17:9,新)このことは親子の関係にも当てはまります。子供に間違いを指摘し,懲らしめを受ける理由を理解させて懲らしめたなら,愛のある親は子供の間違いを繰り返し口にすることは避けるはずです。どんなことをしたにせよ,親が憎んでいるのは悪行そのものであって,子供自身ではないということを,ぜひともはっきりさせなければなりません。(ユダ 23)子供は“罰をじっとがまんして受けた"と感じていて,そのことを何度も言われるのは不必要に屈辱を受けることだと考えるかもしれません。その結果,親や兄弟から離れて行くこともあります。悪い傾向が強くなっていくのが心配な場合は,のちほどその問題を家族の話し合いか何かのときに取り扱います。過去の行ないを単にもう一度取り上げて調べ直すだけですますというようなことをするのではなく,関係している原則を考慮し,それらの原則をどのように適用するか,それらが永続的な幸福になぜそれほど大切かをいっしょに検討します。

いろいろな懲らしめ方

26『一度の叱責は,愚鈍な者を百度打つよりも,理解力を持つ者に深く働きます』。(箴 17:10,新)子供たちにはそれぞれ異なる方法で懲らしめを与える必要があるでしょう。個々の子供の気質や性質を考慮しなければなりません。非常に敏感な子供の場合,おしりをたたくなどの体罰は必ずしも必要でないことがあります。そうかと思うと,おしりをたたいても効果のない子供もいます。中には箴言 29章19節(新)に述べられているしもべのような子供もいます。「僕は単に言葉によって正されるものではない。理解しても注意を払っていないからである」。そのような子供には体罰が必要でしょう。

27 ある母親は次のように言いました。

「息子は二歳になったばかりのときに壁にらくがきをしました。床からほんの少し上がったところに小さな赤い汚れをたくさんつけてしまいました。主人はそれを息子に見せてだれがしたのか尋ねました。息子はうんともすんとも言わずに,目を大きく見開いて父親の顔をじっと見つめるだけでした。とうとう主人はこう言いました。『お父さんもね,おまえぐらいの年のときに壁にらくがきをしたけども,壁にかくのはおもしろいね』。すると,幼い息子はうちとけて,にこにこしながら,らくがきするのがおもしろかったことを生き生きと話し始めました。父親に理解してもらえることがわかったからです。しかし,どんなにおもしろくても,壁は物を書くところではないということを主人は説明しました。それで心が通じ合い,この子にはもう少しことをわけて話すだけでことが足りました」。


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