今の時代は、ころころ猫の目のように変わるJWの教理を、タッキング中に必要な行為だと思って、よけいな事を一切考えずに、黙ってひたすら組織を信じてついて行くが会衆の模範となるべき正しいエホバの証人のあり方でしょう。
JWが1991年から国連NGOに参加していた事実が英国の週刊誌の報道で発覚して、それを知った組織があわてて国連NGOから脱退した事実まで発覚して、そのうえ、その経過がネットで全部公開されてしまい、エホバの証人とは、実は啓示の書に書いてある「緋色の野獣に乗った娼婦」だったって事実がばれちゃって、それまでの教理で判断すれば、世界中のエホバの証人全員が楽園に行けなくなってしまった。ってネットで大騒ぎになってしまったわけだよね。
そしたら組織が、これは必要な行動だったって、見え見えのいいわけ文書を世界中の会衆に送ったら、それが即ネットに流れちゃって、それを見た元気な人が国連に「JW組織がこんな事言ってるけど、組織のいいわけはホントなの?」って質問に、「んなことあるわけねーだろ」って答えた国連の公式な回答文書のコピーまでネットで公開されてしまっているけど、(ここでも公開してます)
そういう情報は全てサタンの誘惑だと強く堅く信じて、心の中でどう思っていようが顔色一つ変えずに組織の教えに忠実に付いていくのが、今の時代のJW組織が求める、会衆の模範となるべき正しい兄弟姉妹像ですが、
当時はこういう姉妹がJW組織の求めている会衆の模範となるべき正しい姉妹像だったんです。
追記:補助開拓者(90時間)及び特別開拓者(240時間)の経験有り現在75歳以上のはず(完全に絶縁してるから何歳だか全然興味なし)
【幼児の頃】
両親が結婚して私が生まれるまで7年位かかったそうで、私はやっと生まれた待望の赤ちゃんと言うことで、毎日愛情いっぱいに育てられた記憶があります。物心がついた時は、いつもみんなにこにこして私を見てくれていて、みんなに、にこにこ顔であやされていた記憶があります。
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生後6ヶ月 体重9100g 身長71cm)
当時の日本は今と違って貧しかったので、毎日勤勉に働く父親と、それを支える母親と、元気いっぱい遊ぶ私と、父方のおばぁちゃんの4人家族で、当時のごく普通の家庭で、この頃が私たち家族が最高に幸せだった時代だと思います。
(画像)
皇太子美智子様御成婚パレードに出席したらしい(記憶無し))
父親は当時カメラ会社のレンズ製造用ボイラーの管理の仕事をしていて、完全に昼夜逆転の生活で、家にいる時はほとんど寝ていました。そのカメラ会社は当時の一流会社だったので中途採用の父は正社員になるのにものすごく苦労していたようでした。ですから母親とちゃんと会話してたのかな?なんかいつも家で寝てるか、起きると家にいなくてどこかに消えてる父親だった記憶があります。
私が2歳半の時に母親がJWに入ります。最初は家庭内の幸せが加速したように感じましたが、だんだんと家庭の中が最悪の環境となり、気がついたら毎日毎日が夫婦喧嘩の日々となりました。私は超お馬鹿だったので(あたりまえですね)両親の仲が悪いのは自分の責任と思いこみ、前のような機嫌の良い優しい母親になってもらいたくて、自分さえよい子になれば、また前のような幸せな家庭環境が戻ってくると思って努力しますが、何をやっても駄目で、常に母親の顔色をうかがう、母親に気を使い過ぎる子になりました。
その反面父親に対しては、母親が「お父さんは間違った考えを持っていて、もうすぐ滅ぼされる人だから、お父さんの言うことを聞くより、お母さんの言う、エホバ神の事を必ず聞くんですよ。」と常に言い聞かされて育っていましたので、私は父親はそのうち滅ぼされるかわいそうな人だと子供心に哀れんで、何かあると母親の側に付いて父親を軽蔑して見下していました。父親が教えてくれることは全部間違いと思っていましたから、常に生返事だけで、父親の言うことは絶対に信じないし聞かないし、父親は家族の敵だと思う子になってしまい、父親はじゃまだから早くいなくなればいいのにと思うようになってしまいました。
【幼稚園時代〜小学校時代】
私が幼稚園の時、JWの信仰が原因で両親が別居、母親は私を育てる自信が無いという理由で私を放棄します。私は1年近く東京で父親と2人暮らしでしたが、北海道の実家に戻っていた母親は、元お嬢様のよくあるわがままで突然気が変わり、私を取り戻しに東京に戻って来ます。私はそれまでの母親のJWの宗教教育の成果で、父親は何故か他人のような気がしていたので、これ幸いと母親について行き、かなりごたごたしたようですが協議離婚も成立したようでした。
その後、母子寮などを転々としていた頃、小学校2年生の時(1964年)御国奉仕で(今の王国宣教)「こらしめの与える訓練によって実を結ぶ」と言う記事が出て、それまで日本のJWに無かったムチ制度が始まります。そのころの御国会館(今の王国会館)には長老制度や排斥制度は無く、会衆の監督とか群の監督という責任者がいた時代で、監督が三田ベテル(海老名ベテルや沼津ベテルができる前)から送られて来た会衆宛の手紙を全員の前で読みあげ、「子供が罪を犯した場合、親は聖書に基づき子供に詳しく理由を説明して子供が罪を認めて納得してから、子供に自発的にパンツを下げさせて、親は女性用の皮のベルトで力一杯お尻を叩くようにしてください。これは子供の心の中からサタンを追い出すためで神のご意志です。」と言う指示が突然JW組織から出ました。