*** ものみの塔1975年 2月15日号 128ページ読者からの質問 ***
既婚者が自分の配偶者に対してみだらな行為をする場合, それをされたほうの配偶者にとってそれは,離婚できる聖書的根拠となりますか。

結婚関係内におけるみだらな行為が,聖書の許す離婚の根拠となる場合はあります。もちろん聖書は離婚を勧めてもいなければ,潔白なほうの配偶者に, 姦淫を行なう配偶者,またはひどい性倒錯の配偶者を離婚するよう命じてもいません。離婚についてイエス・キリストは,「だれでも,淫行以外の理由で妻を離婚して別の女と結婚する者は,姦淫を犯すのです」と言われました。(マタイ19:9)「妻を離婚する者はみな,それが淫行のゆえでないならば, 彼女を姦淫にさらすのであり,離婚された女と結婚する者はだれでも 姦淫を犯すことになるのです」―マタイ 5:32。

このように,「淫行」は離婚の唯一の根拠として述べられています。イエスのことばは共通ギリシャ語で記録されていますが,この共通ギリシャ語における「淫行」という語は「ポルネイア」で, 口腔交接や,肛門交接などを含め,売春宿などで行なわれているかもしれない, あらゆる形の不道徳な性関係を示します。離婚に関するイエスのことばは,「淫行」すなわちポルネイアが,だれを相手に行なわれるものであるかを明示せず,問題を未決定のまま残しています。

結婚関係内の性倒錯もポルネイアに含まれると考えてまちがいないことは,妻に不自然な性関係を強いる夫は事実上妻を「卑劣な目的に使う」, あるいは妻を「汚す」ものである,という点から理解できます。この行為によって夫はポルネイアの罪を持つ者となります。なぜなら,類語のギリシャ語の動詞ポルネウオーは,「卑劣な目的に使う,汚す」という意味を持つからです。

したがって,既婚者のその配偶者に対するみだらな行為が,離婚の聖書的根拠となる事態は生じ得ます。たとえば,妻は,売春宿で行なわれるような道をはずれた行為を夫が強制するのを防ぐために,自分にできることを行なうかもしれません。しかし,夫のほうが力が強いために妻に勝ち,倒錯した性のために妻を用いるかもしれません。それでクリスチャンの妻は,再びそのように悪用されないよう,離婚を決意するかもしれません。その場合彼女は,離婚を決意した真の理由がポルネイアであることを会衆に対して証明し,しかるのち, 国の裁判所が離婚の理由として受け入れる事柄のうちなんでも,実際にある事柄を理由にして,正式な離婚の手続きを進めることができます。

一方,もし夫と妻の双方が賛成のうえでみだらな行為を行なった場合は,どちらの配偶者も,ポルネイアを離婚の聖書的理由として主張する根拠を持ちません。なぜなら,どちらも潔白ではなく,ポルネイアの罪のある配偶者から自由になることを求めているのではないからです。夫婦双方に罪があります。

そのようなケースは,もし会衆の長老たちの前に持ち出されたなら,他の重大な悪行と同様の扱いを受けるでしょう。

注1:当時の教理の要点と、当時の審理委員会での排斥(破門)判断基準

原理原則:夫婦による子作り目的以外の性行為は全て不道徳な行い。(基本的に現在も同じ)

1)信者が思春期になったら「男女七歳にして席を同じゅうせず」(現在も同じ)
2)男性信者のマスターベーション禁止、女性信者のオナニー禁止。(現在も同じ)
3)独身信者が異性と性行為をした場合、相手が婚約者でも排斥。(現在も同じ)
4)医師に認められた性同一障害者でも、同性愛行為は排斥。(現在も同じ)
5)夫婦で性行為を行う場合に信者に許されるのは、妻に苦痛を与えずに陰茎が挿入可能になるまでの最低限の前戯と、ごく短時間で終わらせる正常位での性行為のみ。
6)夫が妻に苦痛を与えずに陰茎を挿入する目的以外で膣に指を挿入する行為は禁止。
7)舌や唇でする女性性器への愛撫(クンニリングス)、排斥。
8)唇や舌(フェラチオ)や喉(イマラチオ)でする男性性器の愛撫、排斥。
9)正常位以外の体位での性行為は全部禁止。
10)勃起不能者になった夫を持つ妻が納得していても器具を使う性行為は禁止。
11)妻の膣に障害があって夫婦で納得していてもアナルセックスをしたら排斥。
12)上記の行為を、未信者の夫が信者の妻に求めた場合は、妻は夫に離婚を請求しなければならない。未信者の夫が上記の行為を求めて、それを信者の妻が受け入れた場合は信者の妻が排斥。それがエホバの証人夫婦の場合は、2人とも審理委員会にかけられて排斥。

注2:この時代に育った2世の子供達はこの教理のせいで性に対して異常なほど興味を持つ反面、異常なほどの潔癖感と罪悪感を持った人が多い。

注3:当時の2世の子供達の謎の言葉である「イマラチオ」とは男性の陰茎を女性の咽の奥深くまで挿入することで、いわゆるディープスロートの事

以上は、1960年代後半〜1980年代の大真面目な教理。

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さらに当時の巡回監督が(神の名を広告する広告兄弟というあだ名の巡回監督)「お母さんたち、子供と研究するだけではいけません。時間をとって話しをして、子供の気持ちを汲み取るようにしてください。そして若者は性の誘惑に負けやすいから、世的なものに一切触れる事がないように気をくばりましょう」という講演をしてから母親達は自分の子供が心の奥底で何を考えているのか偏執狂的に気を配るようになり、徹底的に子供に干渉するようになりました。

私の母親は組織の命令に忠実に従い、神の名を大義名分にして、私が心の奥底で本当は何を考えているのか、毎日毎日根ほり葉ほり聞き出すようになり、聞き出したことがエホバの証人的でない場合は全て否定的にコメントして私に強烈な劣等感を植え付け、それについて説教まで始め、その内容を長老に相談して、そのことで私が長老から説教されるはめになり、私の心の逃げ道がなくなり心がどんどん壊れていくようになっていきます。


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