参考資料:マスターベーションは何故いけないのか?組織の聖書解釈

*** ものみの塔 1983年 9月1日号 27ページ 8節 性に関する神の見方を保つ ***

では,クリスチャン・ギリシャ語聖書はマスターベーションについて何か述べているでしょうか。いいえ,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中でこの問題は論じられていません。夢精のことさえ言及されていません。しかし,それだからと言ってクリスチャン・ギリシャ語聖書はマスターベーションに対するふさわしい見方を養うための導きを何も与えていないということになるでしょうか。

そうではありません。コロサイ 3章5節を考慮してみてください。そこにはこう書かれています。「ですから,淫行,汚れ,性的欲情,有害な欲望,また強欲……に関して,地上にあるあなた方の肢体を死んだものとしなさい」。また,テサロニケ第一 4章4節と5節はこう述べています。『一人一人が,自分の器を……聖化と誉れのうちに所有すべきことを知り,神を知らない諸国民のように貪欲な性欲のままに歩まないことです』。このような助言は独身者だけでなく既婚のクリスチャンにも当てはまりますが,性関係により情欲を解消することは既婚者だけに限られているので,独身者にはより一層の抑制力を行使することが求められます。

マスターベーションが「性的欲情」に関して死んだものになるようにという命令に反する習わしであることが理解できますか。確かに,エホバは性欲,つまり欲望を持つ者として人間を創造されました。食べ物や飲み物に対する欲求を持つ者としてわたしたちを創造されたのと同じです。ですから聖書は性欲を持つのが悪いと言っているのではありません。食べ物や飲み物に対する自然で,ふさわしい欲求を持つことを非としていないのと同じです。しかし,人間が不完全な状態にあるため,欲望が制御できなくなることがあるのをわたしたちは知っています。食べ物やアルコール飲料に対する欲望に節度を欠くようになり,大食漢や大酒飲みになることがあります。同様に,性も人の生活の主要な,あるいは目立った部分になることがあり,その結果,「貪欲な性欲」を抱く諸国民のようになりかねません。

マスターベーションを行なう人は,性に重きをおきすぎているのです。誤った方法で性的渇望を燃やし,活気づけます。しかし,これには男性だけが関係しているのではありません。女性の間でもマスターベーションが増加しています。しかし,神は結婚の取り決めの中で用いるよう性の賜物を人間にお与えになりました。しかし,マスターベーションをする人は,結婚の取り決めの外で自分を満足させるために性を用いています。そのような人は,神に喜ばれる者になるために自分の性的欲情に関して死んだ者とならなければなりません。自分の生活の中で性にそれほど重きをおかないようにするために自制心を培わなければなりません。またどんな圧力に遭っても正常な仕方で適応するよう自分の性器に触れないようにすることが必要です。

注:
>クリスチャン・ギリシャ語聖書はマスターベーションについて何か述べている
>でしょうか。いいえ,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中でこの問題は論じら
>れていません。夢精のことさえ言及されていません

「聖書にマスターベーションをするなとは何も書いてない」と自分で認めておいてから強引に自説を展開しているのがわかりますか?まず肯定して、次に否定して、最後に強引に自説に結びつける、典型的なものみの塔の論理展開パターンです。現在もマスターベーションは『聖書により』禁止されています。

女性に「生理の血を体から外に出すな!」と命令するのが不可能なように、男性に「精液を体から外に出すな!」と命令するのも不可能です。そして性欲は男性だけのものではありません。同じ人間なんですから女性に性欲があるのも当たり前です。人間の体はそのように出来ています。

聖書に何も書いて無くても、聖書に基づいて勝手に教理を作るのがものみの塔という宗教です。

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【バプテスマ】

中学2年の頃から同じ会衆の2世達がどんどんバプテスマを受けて兄弟姉妹になっていき、中学3年になっても全然バプテスマを受ける気配がない私に母親が激怒して、「あんたいい加減にしなさい!兄弟になるか家を出ていくかどっちかに決なさい!」と言われます。そうしないと本当に家から叩き出す性格の母親ですし、さらに1975年10月のハルマゲドン予言の公式発表もあったせいで、17歳までに自分の立場を明確にしないと死ぬわけですから、2重人格者となっていた私は自分自身と母親と周りを完全に騙し、心を入れ替えたように熱心な中学生信者を演じ、1973年に東京競輪場(東京ドーム)で行われた東京大会で無事バプテスマを受けました。

バプテスマを受けて半年くらいは真面目に信者をやっていたんですが、兄弟になったらそれで楽になれるかと言えばそうはイカのおちんちんで、今度は会衆の信者を導く責任ある兄弟としての立場になるわけですから、嫌でも責任がどんどん増えるわけです。めんどくさくてやりたくないのに5分間の講演なんてのもやってました。

母親は模範的な姉妹と言う自分のイメージを何より大事にしていて、会衆内での自分のステータスを常に気にする人で、自分が高学歴女性なので高卒女性姉妹達の取りまとめ役みたいな存在になっていますから、私がちゃんと兄弟をやってないと会衆内での自分のステータスが落ちるわけで、もともとやる気のない私が本当にやる気をなくすと母親はヒステリー状態になってしまい、私も混乱してますます自分が壊れていきました。

でも私は2重人格者だから、信仰に熱心な筋金入りの現役兄弟を演じていましたから、会衆内の母親達から「「ゆーじ兄弟を見習うんですよ。」「大きくなったらゆーじ兄弟みたいになるんですよ」などと言われていました。(それを聞くと苦笑いしてたんだけど、本当の事は絶対に誰にも言えないよね。)


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