【当時の組織の指導は、馬鹿は進学しないで中卒で就職しろ】
「目ざめよ」1969年8月8日号、15ページより。
若い人々はまた、現在のこの事物の体制の下で年配に達することは決してないという事実を直視しなければなりません。どうしてそう言えますか。なぜなら聖書予言の成就という証拠はすべて、この腐敗した体制があと数年のうちに終わることを示しているからです
ゆえに、 若い人々はこの体制の差し伸べるいかなる立身出世の道をも決して全うすることができません。もしあなたがいま高校生で、大学教育をこころざしているとすれば、大学を卒業して、専門的な職業に携わるには 少なくとも4年、場合によっては6年、もしくは8年かかるでしょう。しかし この事物の体制はその時までにどうなっているでしょうか。もし、実際に 過ぎ去っていないとすれば、ほとんどその終わりに達していることでしょう!
多くの親が、かなりの期間にわたる教育を必要としない実業課程を子供に受けさせるほうが実際的であることに気づいているのはこのためです。建築、鉛管工事その他の実技は現在有用であるだけでなく、神の建てられる新秩序下の再建の仕事においてはさらに有用でしょう。
(画像)
1995年頃まで続いた、2世の大学進学絶対禁止はここから始まった
【参考資料】エホバの証人の高等教育と社会的地位について
当時は1975年10月のハルマゲドン予言が組織の基本教理で、もうすぐハルマゲドンだから2世に高等教育は必要ない。アルバイトで食べて行ける最低限の能力さえ有れば、あとは残りの時間を全時間の伝道に当てなさいと言う時代でした。(まだ正式に2世の大学進学絶対禁止の話しは出ていない頃です)
1975年10月(私が17歳の時)までにハルマゲドンは間違いなく来ると言われていて、当時の大会の講演者は講演の終わりに「アダムが生まれてから6000年目は1975年の10月です。みなさん、次の大会は楽園でお会いしましょう!」と言う時代でした。
以下のトンデモ計算式は、私と入れ違いにJWに入った、当時の1975年のハルマゲドンの教理を覚えている元姉妹に確認して貰ったんですが、私は当時の教理をほとんど忘れていたのでここだけ助けて貰いました。
私はハルマゲドンがくるのは1975年10月の24日か26日までに来るって記憶してたんだけど、これって私の勘違いだったのかなぁ?それとも私がやめてから日付が変更になったのかなぁ?まぁいいや、私は細かい事を気にしないし、それに、どうせ組織の預言ははずれてるからさ(爆)
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【組織の主張した1975年10月までにハルマゲドンが必ず来る根拠】
聖書の年代計算と系図をたどると、アダムが創造されたのは紀元前4026年で、その6000年後は1975年秋になります。(古代の暦は秋を年の始めとしていたので、アダムの創造も秋と考えます)
異邦人の時は(協会の2520年という解釈を使えば)紀元前607年10月1日に始まり、終わったのが1914年10月1日でした。
イエス・キリストが生まれたのは西暦2年の10月1日。イエスのバプテスマは西暦29年10月1日です。
アダムの創造も10月1日と考えられ、その日からアダムは服従している動物に名前をつけて行き、エバが創造されるまでおそらく数週間か数ヶ月あると68年のものみの塔には書いてありました。
同じ雑誌には、1975年の秋までにはハルマゲドンの戦いが終わり、キリストの千年統治が始まることはあり得ると書いてあります。当時の協会の書籍や雑誌は、1975年秋に焦点を合わせて盛んに信者を煽っていました。
だけど1975年にハルマゲドンが来なかったら、今度は「エバが創造されるまでの数年間があった!」っていうことになって「いつ来るかわかんないからずーっと目ざめていなさい!」って言われたのです。
(画像:『ものみの塔』1968年8月15日号、499ページ)
「ゆえに神の第七日は、人間が地上に生存している期間と明らかに一致しています。七千年にわたる神の第七日と関連して人間が時の流れの中でどこに位置しているかを計算するには、アダムとエバの造創の年である紀元前四〇二六年から何年たっているかを知ることが必要です。その年の秋から紀元前一年の秋まで四〇二五年を経ています。紀元前一年の秋から西暦一年の秋までは一年です。(零年はありません)西暦一年の秋から一九六七年の秋までの年数は、合計一九六六年です。四〇二五年と一年と一九六六年を加えて、紀元前四〇二六年の秋から一九六七年秋までの年数を出すと五九九二年になります。したがって第七日の六〇〇〇年を満たすには、八年をあますのみです。一九六七年秋から八年後には一九七五年の秋を迎えるわけであり、その時には神の第七日すなわち安息の日にはいって満六〇〇〇年を経ていることになります。
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で、そんな話を毎回大会で聞かされてりゃ、ヒキコモリはまともに勉強する気なんてなくなりますよ。そんなやる気のないヒキコモリは成績もそれなりで、当時は5教科受験時代、私は瞬間最高獲得点数240点クラスの、中の下の成績のお馬鹿だったんです。
そして、当時の会衆の空気は、2世が行ける高校は公立高校の上位クラスや高専なら会衆内で進学の大義名分が立ち、下位の私立に行くくらいなら就職して伝道しろと言う雰囲気でした。
当時の会衆内でよく言われたセリフで「知恵が有る者は知恵を出せ、知恵が無い者は汗を出せと」言う、組織の文書でよく使われた合い言葉の時代で、知恵の無かったお馬鹿な私は、公立(最低合格点250点)は全滅、私立(最低合格点220点)には担任の先生の推薦で最優先で入れたのですが、会衆内でのステータスの維持に命をかける母親のプライドは、私の私立進学を絶対に許さなくて問答無用で中学卒業後就職コースでした。
当時、JW組織は2世の中卒就職コースの指導はしていましたが、実際に中卒就職コースを選ぶ2世は誰もいなかったのに私が中卒就職コースを選んだので、私たち親子は会衆内で驚きと賞賛の嵐で、私の母親はお馬鹿な私のおかげで自分の自尊心を十分に満足させられたのでした。