【欲しい物いっぱい、何がなんでも現金欲しい!】

で、ちょっと話を戻して、そのころの私は、子供の頃からエホバの証人としては異常に物欲が強い方で、(一般人としては普通以下、逆に欲しがらない方でした)当時の中学生の月の小遣いのクラス平均が二千円から三千円位だったんですが、私はたったの五百円。クラスメートとのつきあいが出来るような金額じゃなかったんですが、この気が遠くなるくらい少ない小遣いの状況をなんとか変えようと思って、中学1年の終わりから毎朝新聞配達して自力で小遣い稼いでいたんですよ。(夏は自転車、冬は雪の中を徒歩、全行程10キロ位だったかな)

ところが必死で稼いだアルバイト代は母親に強制徴収されて会衆の寄付箱へ直行でした。当時の北海道新聞は朝刊150件で月2800円だったかな、それを母親に無理矢理取りあげられて手取り1000円、しかも、それまであった月の小遣い500円カット。こりゃ真面目に働かない方が結局楽だったんじゃないのかと言うような状況だったけど、とにかく金が欲しいからめげずに働いて、給料の高い毎日新聞に移って、配達距離20キロ、朝刊180件で月に、5000円、こいつも母親に強制徴収されてほとんど会衆の寄付箱に直行で、手取り2000円の配当でした。

で、中学卒業して就職して、当時は15歳でも、朝8時から深夜1時過ぎまで当たり前に働かされる時代でしたので、ちゃんと真面目に徹夜して働いて、初めて貰った給料が手取り3万2千円。(今と違って当時はみんなこんなもん)

自分の努力の結果なのでめちゃくちゃ嬉しかったんですが、これまた全額母親に取り上げられ、ほとんど会衆の寄付箱に直行、母親から自分の小遣いとして渡されたのはたったの5千円でした。

徹夜で働いて手取りが中学生の新聞配達のアルバイト代と同じじゃ、人間として生きてるだけ無駄ってもんで、就職しても母親とJWのコントロールから絶対に逃げれないので、いつもの夢見る夢夫君で25世紀から32世紀のスペースオペラの世界に逃げての現実逃避だけじゃ完全に追いつかなくなってしまい、完璧なノイローゼ状態になり、今度こそ、いつ自殺してもおかしくない精神状態になってしまいました。

でも私は2重人格者でしたから、母親や会衆の前ではそんな事は露ほども見せず、外見だけは元気な模範的な兄弟として陽気に振る舞っていましたけどね。

【審理委員会で志願して背教で排斥される】

そんなめちゃくちゃな精神状態の時に女性問題を起こしてしまい、それが母親にばれて審理委員会に告発されました。(早い話が母親に売られたってこと)

当時は1975年10月のハルマゲドンまであと2年。排斥=死刑でしたから、審理委員会が開催されるまで3週間だったかな、その3週間に完全に開き直りまして、「どうせ排斥されて死ぬんだ、なんとでもしやがれ!」ってやけくそになっていました。

で、審理委員会の当日、審理委員会で3時間ぐらい根ほり葉ほり事情を聞かれて、実は私はそれまで医学書は読んでもエロ本なんて一度も読んだことがなかったので、情けないことに女性問題は未遂行為でして、その事情を長老達に説明したら、どうやら無罪になりそうな雲行きになってきました。

当時の審理委員会はお約束として、無罪の時は「あなたはエホバの真理を信じていますよね?」と聞かれるのが定番で「はい」と答えりゃ無罪「いいえ」なんて答えたら、それはもう大変な事になったんです。

そして長老の1人が、あなたは無罪ですよ、でもちょっと確認させて貰うよって感じで、「ゆーじ兄弟、あなたはエホバの真理を信じていますよね?」って聞かれた時に、私は完全に頭の中がぶち切れまして、「今、本当の自分の気持ちを言わないと俺は一生JWから逃げれない!、このままの状況だと俺はノイローゼで自殺しそうだから、腹を決めて本当の自分の気持ちを正直に言おう」って決心しました。

そこで、「今までエホバの真理を一度も信じられませんでした。兄弟になったのも母親が兄弟にならないのなら家を出て行けと言うから仕方なくバプテスマを受けました。私は今まで信じられないエホバの真理を、この先信じれるとも思えません。」って普段の自分の気持ちを正直に言ったら。長老達がいきなり顔色を変えて、何回も私に発言内容を確認して来て、私も頭の中が完全にぶち切れていますからから、2歳半から15歳まで長年腹の中にたまっていた本音を30分位かけて長老達に全部ぶちまけました。

その後長老達が別室で話し合い、30分後位に出てきて、長老の一人が、実にあっけなく「ゆーじさん、あなたは背教で排斥です。これからは絶対に王国会館に来ないで下さい。もし仮にあなたが王国会館に来ても、私たちはあなたを追い返すことになります。そして道で私たちに出会っても絶対に挨拶をしないで下さい。私たちも絶対にあなたに挨拶しませんからそのつもりでいて下さい、云々」と言われました。

その時は母親も審理委員会に立ち会っていたんですが、大泣きしちゃってね、私は「ザマミロ!俺を人形みたいに扱って無理矢理育てるからだ、俺はあんたの人形じゃなくて人間だぁ!」なんてクールに自分の状況を見ていました。

というわけで、私が自分から志願して背教で排斥されたのは1973年です。私は、後2年後の1975年10月までに組織の教え通り間違いなくハルマゲドンが来ると信じていましたから、自分で自分に死刑判決を下したわけですね。

で、自分の想定外の成り行きとはいえ、長年の願いがかなってJWを辞めれたので、「やったぁ!これで俺はやっと完全に自由だあぁぁああぁぁあぁぁ!」ってものすごくー嬉しい気持ちと、「そうかぁ、俺は後2年以内で間違いなく死んで滅ぼされるのかぁ、はぁ・・・」って気分が混ざり合って実に複雑な気持ちでした。


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