横須賀教育隊の班長達にしょっちゅう言われたセリフ。

「お前達が怪我をするのはボンヤリしているからだ!病気になるのはたるんどるからだ!怪我をして痛い思いをするのは全部自分持ちだ!海上自衛隊ではたるんどる奴には誰も同情しないからそのつもりでいろ!いいな、このことは絶対に忘れるなよ!」

「こらっ!お前ら何をもたもたしておるか!とろとろするんじゃねぇっ!」「お前ら気合い入れろ気合い!気合い入れとけば怪我しても唾つけとけば治る!」「ばかものーっ!誰がそんなことをやれと言った!お前ら全員連帯責任だ!全員腕立て伏せ用意っ!」「ひーん(泣)」

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1等海士(20)入隊後1年半)

1年6ヶ月の長くて辛い2等海士時代がやっと終わり、やっと1等海士になれて1ヶ月目の頃で、まだまだ顔に子供っぽさが残っています、この頃は気力,体力,精神力はだいぶ強くなりましたが、まだ自分の気の弱い性格は変わっていません。(気の弱さがそのまま顔に出ているのが面白いです(^^)

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海士長(21)入隊後2年半

この頃になると顔も体つきも変わりましたが、人間も完全に変わってしまって、艦内の厳しい内務班生活のおかげで、自分の気の弱い性格がものすごく強くなり、完全に開き直って自衛隊生活を送っていました。海士長もこの時期になると怖い物は何もありませんので、仕事以外は上官の言うことは一切聞かず、髪の毛を伸ばして制帽をあみだにかぶって、とことん突っ張っていました。

この頃は、気合いの入っていない若い隊員を怒鳴りあげていましたし、私の暴言に激高した隊員が、自分の持っている包丁を私の心臓の20センチの距離まで突きつけてきても一切動じないくらい気が強くなりましたので、弁護士兄弟と看護婦婦長夫妻の前でオナニー行為を強制自白させられて心が傷ついたことなんか全然気にならなくなって、仲間との酒のつまみの笑い話のネタとして喋れるくらい強くなりました。(でも、みんな深刻に聞いちゃって誰も笑ってくれないのよ。みんな優しいのね)

この時期が我が人生最大最高の思い出の時代となりました。早く辞めたくて毎日が嫌だったけど、本当に腹の底からめちゃくちゃ楽しかった思い出の時代です。就職目的ではなく、気の弱い自分を鍛え直す目的で入った海上自衛隊とは、バリバリの体育会系の男の世界で、デリカシーなんてもんは一切存在しない厳しい世界です。繊細すぎて傷つきやすい自分の心は、海上自衛隊の術科教育と実施部隊の空気の中で、完全にまともな男として鍛えあげてくれてました。

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実施部隊は最初から最後までこれ1隻だけの乗り組みで終わった、第33護衛隊、護衛艦あやせ航海配置は第2機械室内燃操縦員、戦闘配置は後部応急班電話員、硫黄島沖のチャーリー海面にて、艦隊運動訓練実施中。一等海士の頃)

入隊して1年半の2等海士の時代はめちゃくちゃしんどかったけど、だんだんと階級が上がるに連れて少しずつ自由が増え、私が元々持っていたはずの元気な性格に変わって(戻って?)行きます。そして自分の性格が元気になったとたんに、JW時代の反動で爆発的に遊び出すのがこの頃です。(でも、ほとんどナンパです(笑))

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上陸するとナンパしまくりの海士長時代 21歳
ちなみにこの女性は、私が一等海士の頃に渋谷でナンパした(後で自分の妻にするなんて考えた事もなかった)その頃の私の彼女 当時19歳

いつも給料分以上しっかり働かされましたが、ただ生きてるだけで使い物にならない私を、世の中で通用する強い男に鍛え直してくれた海上自衛隊にはものすごく感謝しています。もし自分にこの時代がなかったら、今の私はいったいどうなっていたんだろうって逆に心配になりますよ。もしかしたら、また水商売の世界に戻ってしまって、今はどこかの店の雇われ店長でもしているのかもしれません。(それは絶対に嫌(^^)

ただ、男の世界に染まり続けて、一生海上自衛官になるかと言えば別問題です。どこの世界にも必ずそこしか知らない馬鹿はいるわけで、自分もそんな世間知らずの馬鹿にだけは絶対になりたくないと思っていましたから、最初の契約通り3年で充分で、3年満期で絶対にやめようと思っていました。

そして長かった海上自衛隊の3年間の契約が終わり、自分を鍛え直すという初期の目的を完全に達成して満期で除隊。これで自分に完全な自信がつき、天下晴れて完璧な一般人になることができました。

【一般人になってから】

そしてトラックの運ちゃんの仕事を始め...たんだけど、海上自衛隊で勢いづいた遊び癖はますます止まらなくなり、今度は、人生とはナンパと車が全て。自分の人生の目的の全てをそれだけのために、必死に真面目に仕事して、稼いだ給料を全額遊び代に使ってしまう時代に入っていきます。(道を歩いている知らない女性1000人以上に声をかけたのもこの時代です(苦笑))

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この時代は宅配便の佐川急便が月給100万円の時代でした。誘われたけど、死ぬほど働かされるのがわかっているから断りましたけどね。この会社もそれなりに給料は良かった会社でした。でも佐川急便の半分だったなぁ。

中卒は人の嫌がる仕事をしないと金を稼げません。深夜勤務の宅配便の運ちゃんをしていた22歳の頃

24歳頃にそれまでの趣味の乱読の成果が上がり、自分の心の中のJW問題にケリを付けれる兆しが見え始めます。ここに来てやっと「組織の言うハルマゲドンは絶対に来ないんだ、俺はやっぱり組織に騙されていたんだ」と確信する事ができて、初めて自分の将来の先行きについて真剣に考え始めます。

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人生車と女が全て、昼は車でナンパ、夜はディスコでナンパの、超お馬鹿な24歳な頃


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