書いたついでに、一番小さいフォントで書いちゃうけど、80年代に、パッシング2回がバトルの合図で、ハザード2回でバトルOKって、オプション誌やカーボーイ誌が盛んに煽って始まったのが第一次峠ブームなんですよ。私もドリフト.ドライビングクラブ 「スプリアス」なんてのを作っててね、私がリーダーで仲間が10台位いました。

当時の仲間内バトルは、基本的に「ウサギとカメ」の時代でね、先行車後行車同時にスタートして、先行車がぶっちぎれば先行車の勝ち、後行車がついて行ければ後行車の勝ちって時代でした。ほれ、バトルしてセンターライン割ると対向車が来てマジで危ないじゃん。だから、みんなセンターラインを絶対に割らないってルールで安全にバトルするのが、80年代第一次峠ブームの暗黙のお約束でした。

そしてサーキットでレースは?って言うと、レギュレーションで縛られてのイコールコンディションの勝負の世界は、サーキットで長時間練習できて、タイヤを次々消耗できて、車のセッティングが完全に出来る、金と暇のある金持ちほど絶対有利になる世界で、貧乏人がいくら頑張っても絶対に勝ち続ける事ができない世界なんですよ。

だからサーキットなんか初めから眼中にありませんでした。

(ちなみに、当時はナンバー付き車両のレースはありませんでしたから、フレッシュマンレースはB-110サニーの時代で、(今日産で売っているサニートラックの乗用車タイプ、FR、1200cc)解体屋からサニーを5万円で買ってきて、レースに参加するだけの改造で40万、勝てる車にするには120万、それプラス、レース車を運ぶためのトラックのレンタル代、サーキットでの練習代、タイヤ代やエンジンオーバーホール等の消耗品代が加わり、1回のレース参加費用が約10万。年間レース予算が最低200万円以上ないと絶対に勝てない世界です。)

当時、知らない奴と本当のバトルが出来るのは箱根の三島1国上りでね。あそこは登坂車線があるから2車線使えて追い越しかけれるからなんだけど、私は当時でも少数派の下り大好きだったんで、三島1国上りの深夜のバトルはたまにしか行きませんでした。

つーか、カッコだけの、ド下手が多くてマジで危ない場所でしたよ。(今もそうか?)

今までやったバトルの中で一番印象深いのが、当時の三島1国上り最速だったスカイラインRS鉄仮面ターボとのバトルでした。私が走行中のRSにパッシング2回くれたら、ハザード2回点滅したんで即バトル始めたんですが、こいつめちゃくちゃ運転がうまくてね、

NA1600ccのMR-2でコーナーで距離詰めてRSを抜きそうになるんだけど、直線になると2000ccTURBOの鉄仮面RSはターボパワーに物をいわせて距離を稼ぐからなかなか抜けないんですよ。

で、三島1国の上りの中で私の一番得意な、3車線の登坂車線の追い越しをかけれる場所で、平坦路で長くて緩い右カーブの後、90度左に曲がってから下り坂になるコーナーで、RSが左車線、私は中央車線で、2台そろって4速150km/h以上で突っ込んで、RSは車重があるから先に引いたんで、こっちのMR-2の鼻先をブレーキングポイントぎりぎりで左車線に突っ込んで、まだ直線だったけど、左左のフェイントかけて、ブレーキングドリフトして直ドリに持ち込んだんですよ。

そしたらRSは私がスピンしたと思って引いちゃってね、でもこっちは100%車をコントロールしている状態だから思いっきり直線ドリフトのまま慣性ドリフトに持ち込んでコーナー回り終わった時はRSに余裕の差を付けての圧勝でした。

このバトルの状況と非常によく似てるのが、少年マガジンの単行本「頭文字D」第1巻[Vol.3 究極のとうふ屋ドリフト]の場面です(P62〜P73)。足を決めたFRの峠車で、漫画に描いてあるような曲率の緩い下りコーナーに時速120Km/h以上で突っ込めば、車がああいう挙動をするのは必然なんで(つーかああしないと絶対早く走れない)別に不思議でもなんでもない技術なんだけど、後ろにいる奴から見れば絶対にスピンしたと思うよね。

そしたら1ヶ月後のオプション誌のバトルコーナーって誌上挑戦状公開欄で「何月何日深夜2時頃、三島1国上りでバトルしたスプリアスのMR-2さん、登坂車線の左直角コーナーで見事な高速ドリフトを見せつけられ完敗しました。が次回は絶対に負けません!何月何日深夜2時、三島下り駐車場で待つ!鉄仮面RS-Turbo」って挑戦状を叩き付けられた事もありました。

でも、ちょうどその日に仕事が入って行けなかったのが残念だったけどね。

「頭文字D」に出てくる藤原とうふ店の86トレノね。あの本の最初の頃に出てくる初期のエンジンの86あるでしょ。ブローする前のノーマル系エンジンの奴。あの本の中に出てくる拓海のドリフトテクニックはこの車で全部出来ました。(その後のレース用エンジンに乗せ変えた86トレノは、一般車とは挙動が全然違う完全な別世界の車になるから、一般市販車のドリフト運転の参考にはならない車だよねー)

でね、「頭文字D」第2巻に出てる内側タイヤを溝に入れてコーナリングスピード上げる技だけど、秋名山(榛名山)は行ったことがないからわからないけど、箱根の旧道の七曲がりであの溝落ちコーナリングはよく使いました。1回のコーナーで20mは稼げたね。でも箱根の旧道じゃコーナリング中のスピードはせいぜい40km/hだからあそこは峠入門者用の場所で、私がいつも行った三国峠、箱根スカイライン、芦ノ湖スカイライン、長尾峠とかの高速コーナーで使う、進入速度140km/h以上、ドリフト中の速度90km/h以上の高速コーナリングで走れるレベルになればあんな低速コーナ-用のテクは使えて当たり前だから、あれはびっくりするほどの技じゃないと思うよ。

そんで、「頭文字D」第4巻、P111〜P118で父親の文太がドリフト中に両手離してタバコ吸うのは、コーナーさえ選べば以外と簡単なんだよ。コーナーの入り口でドリフトの姿勢さえきちんと作れば、後はハンドルじゃなくてアクセルで回るからね。ドリフト中って興奮してるからやたらタバコ吸いたくなるじゃない。だからしょっちゅうやってました。まぁ、横に乗ってる奴がたまげから、それが面白くてわざとやったりもしたけどね。


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