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【2002年5月28日放映 アメリカNBC放送"Dateline NBC" 番組映像と日本語翻訳】

アメリカ全米ネットワークのNBC放送は、2002年5月28日、ニュースショウ番組"Dateline NBC"で、エホバの証人の間に蔓延する子供達への性的虐待の問題を、ニュースドキュメンタリーの形でアメリカ全土に放映しました。

まず、全体の流れを説明するとこうなります。


●2002年1月:カトリックの神父のスキャンダルが明るみに。

ボストン大司教区ジョン・ゲーガン元神父をめぐり、米紙ボストン・グローブが今年1月掲載した特集記事が発端となり、カトリック・スキャンダルが明るみになる。(下記参照)

●2002年4月:カトリックのスキャンダル話が日本の全国紙にも載る

読売オンライン 2002年4月23日火曜日

全米に激震、相次ぐ神父の性的虐待スキャンダル

米国のカトリック教会が、神父が少年や少女にわいせつ行為をはたらいたりレイプに及ぶなどの「性的虐待スキャンダル」で揺れている。各地で被害者が名乗り出て聖職者が解任されたり辞任し、米検察当局も刑事事件としての立件に動き出した。教会側が問題に気づきながら、何度も教区を異動させ、被害が拡大したケースも目立ち、組織としての教会の責任を問う声は高まるばかり。ついに、米国の13人の枢機卿全員がローマ法王に召喚される前代未聞の事態となった。

ボストン大司教区ジョン・ゲーガン元神父をめぐり、米紙ボストン・グローブが今年1月掲載した特集記事が発端だった。大司教区の内部文書に基づき、教会側が1984年から元神父の「性的虐待歴」を把握しながら、問題が知られていない教区に次々と異動させていたことが暴露されたからだ。同神父は今年2月に児童虐待の罪で禁固9年の判決を受けたが、問題は一挙に、カトリック教会そのものの姿勢を問うスキャンダルに発展した。

今年に入って全米各地で名指しで性的虐待を指摘された神父は、ニューズウィーク誌によると、約2000人。フロリダ大司教区では3月、パームビーチの大司教が、27年前の神学校校長時代、性的関係を強要された元神学生(40)が名乗り出て、辞任に追い込まれた。

ニューヨーク、ボストンでは、大司教区が内部文書を地区検事に任意提出。検察側が、立件の可能性を探っている。

米国のカトリック教徒は、約6200万人と、人口の約22%を占める。ガラベディアン弁護士は「経済的に恵まれない、父親のいない子供が、神様に1番近いとされる神父のえじきになる悲劇は、もう終わりにしてほしい」と訴える。

 ◆バチカン、米教会指導者を召喚◆
バチカン(ローマ法王庁)は23日、米国のカトリック教会指導者をバチカンに召喚し、米国内で起きた聖職者による子どもへの性的虐待に関する特別会議を2日間の日程で開始した。会議では、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が、米国での一連の事件について、「深く悲嘆した」と表明。「教会だけでなく全社会にかかわる深刻な危機の兆候である」として、「カトリック教会全体を緊急に浄化する」ことの必要性を訴えた。

ローマ法王が直接、スキャンダル対応の指揮を執るのは極めて異例。

関連情報:google検索 キーワード:カトリック スキャンダル

●2002年2月7日:JWはNBCテレビの撮影取材依頼を手紙で正式に断る。


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画像ソース:watchtower.observer
The Watchtower letter to NBC Dateline [Internet Archiveへのリンク。画像は表示されません。]

【翻訳文】

NBCテレビで将来放送予定の番組「デートライン」のカメラインタビューにお招きいただきました件について、お返事いたします。参加の機会を与えてくださったことに感謝いたします。また、あなた方の努力が(物事を)公平に、平衡のとれた見方で扱おうとするものあると評価しています。ご存じの通り、あなたが番組を私たちと共に扱おうとなさったので、私たちは、あなたやあなたのスタッフに協力しようと努力して参りました。

あなたは(ものみの塔の)代理人を番組に参加させてほしいと依頼してきましたが、その点について、私たちは最近エホバの証人の統治体に問題として提起してみました。そして、彼らは(あなたの)申し出を丁重にお断りしました。と言うのは(そうすることによって)兄弟と兄弟を(番組で)戦わせかねないことになり、これは、相違点を解決するクリスチャン的な方法ではないからです。私たちは、全国放送の番組が、私たちの信仰の仲間内の見解の相違を議論する公開討論場である、とは思っていません。

今の状況についてですが、あなた(側の用意した)参加者は、基本的に自分のことをまだエホバの証人であると認識している人であると伺っています。ゆえに、私たちは、彼らを論争する相手として見てはいません。彼らは、全国放送の視聴者の前ではなく、会衆、つまり教会の枠組みの中で、見解や意見を表明すべき人たちであると私たちは見ています。

これは使徒パウロがコリント第一1章10節で『さて,兄弟たち,わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなた方に勧めます。あなた方すべての語るところは一致しているべきです。あなた方の間に分裂があってはなりません。かえって、同じ思い、また同じ考え方でしっかりと結ばれていなさい。(新世界訳)』と忠告したことと一致しています。私たちの統治体は、意見の相違が聖書の原則に従って会衆の枠組みの中で解決されることを望んでいます。

これは、一般的にエホバの証人がテレビのインタビューに出ようとすると反対される、ということを言おうとしているのではありません。しかし、この状況下ではふさわしく思われない、ということです。繰り返しになりますが、(番組への)ご招待ありがとうございました。そして、私たちがお招きに与れない理由をご理解下さいますようお願いいたします。

敬具

そしてその8日後…

●2002年2月15日:JWは、全米長老団宛の手紙で「新しい光」を出す


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画像ソース:To All Bodies Of Elders In The United States February 15, 2002 [リンク先消滅]
代替ソース:silentlambs

その主な内容は


【2002年2月15日付、全米長老団宛の手紙】

アメリカの全ての長老団へ

親愛なる兄弟たち

 2001年11月から12月にかけて開かれた、アメリカ支部地域内の王国宣教学校で、みなさんにお会いできたのは、私たちにとって大きな喜びでした。この手紙では、宣教学校で考慮された様々な問題について、みなさんに文書上での指示を与えるものです。どうか、長老団の特別な集まりを計画し、この手紙に含まれる指示と、王国宣教学校で発表された調整を扱った2002年2月14日付の全米長老団あての手紙をよく検討してください。

中略

■姉妹たちを牧羊する上で注意深くありなさい
『長老や奉仕の僕は、近い親戚関係にいる場合をのぞいて、姉妹と二人きりになるようなことは、絶対にあってはなりません(イタリック体で強調)。』それは、会う目的がたとえ牧羊であっても、聖書からの助言を分かち合うためでも、単に励ます目的であってもです。(当然のことですが、これは、会衆の集会や野外奉仕の場といった衆人環視の元で、長老が姉妹と話しをするということがふさわしくない、という意味ではありません。)

援助を受ける姉妹が、虐待の犠牲者である場合や、鬱に苦しんでいる場合や、何らかの理由で感情的に扱いの難しい状態である場合には、姉妹と二人きりで絶対に会ってはならないということは、とりわけ重要です。

感情がそのような状態にある場合、女性はより傷つきやすくなり、自分と会っている長老に対して、ふさわしくない気持ちをふくらませてしまう傾向があるかも知れません。女性は、彼(長老)を自分のことを愛情と配慮と関心を持って扱ってくれる唯一の人であると見なして、夫や両親や子供たちを愛さねばならないのに、その感情を相談相手に移してしまうような事態が進展する可能性があります。

結婚した姉妹が会衆での扱いを背景に、特定の長老がするような思いやりに満ちた扱いを夫がしてくれたらなら、と望むかも知れません。特に、もしその長老が、毎週毎週継続的な牧羊訪問で同じ姉妹に会うことを続けるなら、そのような状況は、その長老にとって、危険な状況を引き起こすかも知れません。

彼女はその長老に対して、ロマンチックな感情をふくらませてしまうようなことが起こり得ます。そのようなことが起こらないように、そのような姉妹の牧羊の際には、様々な長老に加わってもらうようにすることは賢明な方法です。

これは、姉妹にとって守りとなるのと同じように、長老たちにとっても身の守りとなります。なぜなら、長老が、慰めを与え、相談に乗っている姉妹に対して、ふさわしくない感情をふくらませてしまうこともあり得るからです。−エレミヤ17:9

姉妹と電話で話す際にも、同様に用心を働かせなければなりません。これは極めて重要なことですが、長老は、電話での話を個人的な慰めの会話に発展させるようなことがあってはいけません。

それは、結果的に、ふさわしくない内容の話や、期待感、依存につながるからです。もし姉妹があなたに電話することを始めたならば、特にその姉妹が独身、または、不幸な結婚生活を送っている姉妹の場合は、その問題が少なくとも2人の兄弟の目に留まらなければならないこと(一人では扱えないこと)や、その2人の兄弟の両方が、ふさわしい場で、彼女の問題を聞く必要があるということを、それとなく示してください。

礼儀正しく、思いやりを持って、しかし、手許にある問題を扱う際には、もう一人長老が含まれるべきであるという点については、愛情を持ちながら確固とした立場を守って下さい。

■夫婦間の問題を抱える人を援助することについて
結婚は神からの取り決めですから、長老たちは結婚が危機に瀕しているという報告を重大問題として扱います。それでも、長老たちはあらゆる状況を知らないかもしれないということを認識しています。

配偶者と別居するか、または離婚するかの最終的責任は結婚の誓いをした者にあって、長老たちにはありません。長老は愛ある気遣いを示し、彼らが聖書や聖書に基づく出版物を参照して、聖書に基づいた結論を導き出すのを助けるべきです。長老はまた、もし誰かが明らかに聖書の原則に反した行動をじっと見ていた場合、会衆内にその結果どのような事態が起こりうるか、ということをその人に説明できます。(塔88年11月1日号21頁7節)

しかし長老は、次のようなことを絶対に言うべきではありません。「あなたの状況は、別居のための基準を満たしていません。別居に必要な根拠はないのです。ですから、あなたは配偶者のもとを去ることはできません!」それから、このようなことを人に語ってもいけません。「あなたは伴侶のもとを去る『べきです』。」そのような発言は、(長老が)個人の権利に対してあたかも権威があり、彼らの重荷を負う責務があるかのように思わせます。(ガラテア6:5)

このような長老は、明文化して与えられた長老の権限を越えています。「幸福な家庭生活」の本の151頁には、「善意の友人や、親類、またはクリスチャンの長老は援助や助言を与えたいと思うかも知れません。しかし、犠牲になった人が特定の方向への行動をするように圧力をかけるべきではありません。それはその人自身で決めるべきことです。」とあります。

注:長老が信者の別居や離婚を許可する判断の変更。

■子供の虐待を含む諸問題を扱うことに関しての注意

(1)1989年7月1日付全ての長老団への手紙の中で指示されたとおり、もしあなた方(訳注:長老を指す)が児童虐待の事実を知ったなら、直ちに法律部門に指示を求めるべきです。子供の虐待には性的な虐待や、誰が見てもわかる身体への虐待、未成年者への甚だしい怠慢(ネグレクト=育児放棄、養育放棄)が含まれるでしょう。

(2)もし、犠牲者と思われる人が成人していても、虐待の当時は未成年の場合、どうか法律部門と連絡を取ってください。

(3)もしあなた方が子供の子供の虐待についての過去の事例に気がついていても、当時その事件を扱っていた長老が法律部門に指示を求めていたかどうかはっきりしない場合は、可能な限り、法律部門に援助を求めてください。

(4)子供の虐待は犯罪です。警察やその他の機関に、子供の虐待の申し立てをするべきではない、ということを誰かにほのめかすようなことは絶対にあってはなりません。もし尋ねられたならば、その問題を当局に通報するかどうかは、個々の人が個人的に決定すべき問題であり、それがどのような決定であれ、会衆内で批判があってはならない、と言う点を明確にしてください。

つまり、そのような申し立てを当局に対して行った人を、長老たちは批判してはいけない、ということです。

注:子供の虐待に対する組織の公式な対応は、まず法律部門に指示を求め、警察には通報しない。警察への通報はあくまでも信者個人の決定する問題なので、警察に通報した人を長老は批判してはいけない。

■審理委員会の発表と制限について
審理委員会が悔い改めた悪行者に対する処分(叱責)を決定する際に、その内容を会衆に対して発表するかどうか、細心の注意を払うべきです。(ks91123)しかし、処分内容を会衆に発表した方が賢明であろうと思われる状況も、多々あります。王国宣教学校では2つの点が明確に述べられました。

(1)もし、犯した罪が姦通で、無実な方の配偶者がその罪人をまだ許していない場合、聖書の原則にかなった離婚や再婚という事態の可能性は引き続き存在するかもしれません。それゆえ、姦通という行為は周知のことになる、という可能性はあります。その可能性が存在する限り、審理委員会の処分内容を発表するという決定は、ふさわしいものといえましょう。

(2)もし犯した罪に、子供への性的いたずらが含まれるならば、処分内容の発表は、たとえ悔い改めたとしてもこの悪行者に関しては終わりよければ全てよしというわけではないということを示し、会衆を守るのに役立つでしょう。

注:姦通(浮気)の罪を犯した信者の処分内容を会衆で発表する。子供への性的いたずらをした信者は悔い改めても再犯率が高いので、処分内容を会衆で発表する。

ある人が審理委員会で処分されるか、(排斥後)復帰したとき、必ず制限が課されます。処分が発表されるとき、審理委員会はまた、制限事項をも発表するかどうかを決定します。(塔81年9月1日号27頁29節)しかし、復帰が発表されるときには、制限事項は必ず発表されなければなりません。
−私たちの王国宣教149頁3節をご覧下さい−

特別な場合をのぞいて、制限を取り除く際に全ての長老がそれに関わる必要はありません。もし悪行者がかつて活動していた会衆に引き続き交わっている場合、悪行者に処分を下した審理委員会が、保証されたものとして制限を解除し、長老団に通告するでしょう。

もし、審理委員会の長老の内誰かがもはやその役割を果たしていない場合、長老団は、代わりの者を選ぶでしょう。もし、悪行者が制限下にある状況で他の会衆に移った場合、新しい会衆の長老団はその制限や、その人がどのような霊的成長を遂げてきたかについて、知らされていなければなりません。

これによって、新しい会衆の長老団は、その人の特権を回復するのを監督することができます。新しい会衆の長老団は、この責務を果たすために、2,3人の長老を選ぶことができます。

注:排斥者が組織に復帰した後の会衆内村八分は現在も健在である。もし排斥者が許可を受けずに集会に参加していたのを見つけたら長老団に通報する。

以下略


●2002年5月28日:アメリカ全米ネットワークのNBC放送は、ニュースショウ番組"DatelineNBC"で、エホバの証人の間に蔓延する、子供達への性的虐待の問題を、ニュースドキュメンタリーの形でアメリカ全土に放映する

●ものみの塔2003年3月1日号「勇気を出し、強くありなさい!」より

6節
さらに、反対者たちがマスメディアを操って神の僕たちに関する悪い評判を広める場合や、「布告による難儀」をたくらんで真の崇拝を制限しようとする場合にも、わたしたちには勇気が求められます。例えば、新聞やラジオやテレビが、エホバの証人に関する歪曲された、あるいは全く偽りの報道をする場合、わたしたちはどう感じるでしょうか。ショックを受けますか。いいえ、わたしたちはそうした事態を予期しています。広められたうそや歪曲された情報を信じる人がいても、わたしたちは驚きません。「経験のない者はすべての言葉を信じる」からです。箴言14:15 一方、忠節なクリスチャンは、兄弟たちに関して語られる事柄を見境なく信じたりはしません。そして悪いうわさを聞いたからといってクリスチャンの集会を休んだり、野外宣教の手を緩めたり、信仰をぐらつかせたりすることもありません。むしろ、「栄光と不名誉により、悪い評判と良い評判とによって、あらゆる点で自分を神の奉仕者として推薦」します。「{敵対者たちの主張によれば}人を欺くようで{実際には}真実である」のです。

20節
イエスは山上の垂訓の中でこう言われました。「人々がわたしのためにあなた方を非難し,迫害し,あらゆる邪悪なことを偽ってあなた方に言うとき,あなた方は幸いです。歓び,かつ喜び躍りなさい。天においてあなた方の報いは大きいからです。人々はあなた方より前の預言者たちをそのようにして迫害したのです」マタイ5:11,12 もちろん、迫害そのものは快いものではありません。しかし、迫害ーマスメディアによる中傷的な報道も含まれるーを受けてもしっかりと立つなら、それは歓びのいわれとなります。エホバを喜ばせており、報いを受けることになるからです。勇気ある立場を取るなら、真の信仰を抱いていることを示し、神の是認を確信することができます。確かにそれはエホバに全幅の信頼を置いていることの表われです。次の記事で学ぶとおり、そのような信頼はクリスチャンにとって不可欠です

テモテ第一5章19節

年長者に対する訴えは,二人または三人の証人に基づくのでないかぎり認めてはなりません。(新世界訳)

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2002年5月28日放映、アメリカNBC放送"Dateline NBC"の日本語翻訳

2002/06/06

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