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なぜ2世はムチなんだ?中編

火曜日

その日は私が小学校2年生の最初の頃で1964年の寒い時期でした、火曜日の聖書研究会(今の聖書研究)の終了後にいきなりムチの発表が始まりました。

当時は長老制度も排斥制度も無い時代で、監督(長老)と補佐の兄弟(奉仕の僕)と会計と書記しかいない時代でしたので、通常通りに聖書研究会が終わった後に、組織からの連絡事項の伝達の時間となり、監督が三田ベテル(海老名ベテルが無い時代)から送られてきた会衆宛の手紙を読み上げ、「悪いことをした子供の心の中にはサタンが宿っています。子供の心の中からサタンを追い出すために、ムチを使ってサタンを追い出しなさい。これは神のご意志です。」という発表がありました。

そしてもう一通の個人宛の手紙を見ながら「子供が悪いことをした場合は、聖書に基づいて、子供が納得するまで時間をかけてよく言い聞かせ、子供が罪を認めたならば、椅子にひざまずかせて、自発的に子供にパンツを下ろさせて、親は皮のベルトで力一杯お尻を20回叩いて下さい。そして叩き終わった後、必ず子供を力一杯抱きしめてください。この場合のムチとは、女性用のウェストベルトの事です。」と言う解説が出ました。

この瞬間、子供達は沈黙の大パニックになりました。

その後質疑応答が始まります。私は監督の言っているベルトとは、サンディさんの奥さんや、立川基地のアメリカ人女性達の使っていた、当時の流行の牛皮製で直径2センチ位の円断面のウェストベルトの事だとすぐに見当が付きましたが、当時の日本女性の使っていたウェストベルトの流行の主流は、ぺなぺなのビニールエナメルのベルトで、値段も牛革が5千円位、ビニールエナメルは800円位の時代でしたので、(高卒初任給1万円以下の時代)牛革のベルトなんて高級品をしてる人は1人もいませんでした。そのうえビニールエナメルは材質がぺなぺなですから、ムチとして使うには物理的に無理があります。そう思っていたら1人の母親姉妹がいきなり自分のベルトを外して高く掲げて、「このベルトじゃ力が入らないから無理です」と言い出しました。

そうしたら、監督は特別開拓者としばらく話し合い。「牛革製で女性用の直径2センチ位の丸い断面のベルトが理想なんですが、それが無い場合は男性用の細身の皮ベルトを使ってください。とにかく大事なことは子供に自発的にパンツを下げさせてお尻をムチで力一杯20回叩くことです。その時は絶対に手加減しないでください。それがご意志です。」と言って集会はお開きになりました。

沈黙のパニックになった子供達は目で会話しあって、自分の母親だけはそんな事はしないよなって合図していたのですが、集会がお開きになった後、母親達が集まって、うきうきしながらムチの実施方法の解釈について話し合うのを見て、子供達は全員絶望の底に叩き込まれました。(大人30人位子供5人位)

特に私の母親はアメリカ人JW家庭直伝のムチの経験者ですから、母親全員に質問されて、あっちのグループこっちのグループに移動して、ムチの使い方や手首のスナップの効かせ方まで教えるありさまで、私は他の親はともかく自分の親に限って絶対に逃げられないと絶望の底に落ちていきました。

木曜日

神権宣教学校でムチの記事が取り上げられ、火曜日の集会後の三田ベテルの手紙の発表を聞いていない人には全然理解できないけど、手紙の内容を聞いた人にはだめ押しするような記事を学びます。

こらしめの与える訓練によって実を結ぶ

@聖書の教える物の見方をしない人は、こらしめを受けることを望みません。しかしクリスチャンはこらしめを受けることを喜びます。それはご自身の民に対する神の愛の現れです。従ってクリスチャンは、「エホバのこらしめを軽んじてはならない」と述べた使徒パウロの助言に従います。(ヘブル、十二ノ五)こらしめは生命の道であり、義の実を結びます。けんそんにこらしめを受け入れる人は、この事を知っています。−ヘブル、十二ノ十一。

Fエホバとみ子キリスト・イエスの愛あるこらしめを受け入れるとき、正義という平和の実を結んで喜びを得ます。同時に家庭聖書研究によって謙遜な人を教えるとき、エホバの是認を得て、新しい秩序の下に生命をかち得るように、人々を効果的に援助することになります。

御国奉仕  一九六四年五月一日 第七巻第五号 日本版

これだけ読んだら一般人には絶対にわかりません。しかし事前に三田ベテルの手紙で、ムチの目的と具体的な使用方法を聞いていたら、組織が何を望んでいるのか一目瞭然です。マスコミにばれた時の事まで考えたJW組織の犯罪的な発表のしかたは毎度の事です。

この日、早くも最初のムチの被害者第一号が出ます。その子は4歳位男の子で木曜日の昼間に叩かれました。組織の指導通り、聖書を元に言い聞かせようにも、聞いても絶対に理解できないんじゃないのかと思うくらい幼い子でしたが、母親姉妹達はそんな事にはお構いなしでその母親姉妹を絶賛していました。そして、それを聞いた子供達はムチの恐怖から緊張しまくりで、集会中いつになく静かにしていましたが、それを見た母親姉妹達は、普段はざわざわしているのに、組織のムチの発表だけで子供達がこれほどおとなしくなるのに狂喜乱舞で、集会後に全員「エホバは偉大よねー」を連発していました。

土曜日、

ついに私も叩かれる日が来ます。当時私は野球が大好きで、とにかくグローブとボールを持っているだけも嬉しくなるくらいの大の野球好きで、将来はプロ野球選手になるのが夢でした。しかし土曜日は放課後まっすぐに家に帰らなくてはなりません。12時頃に学校の授業が終わるんですが、午後2時には伝道に出発です。遊べる時間はわずか1時間。これじゃ野球しても後半の一番美味しいところで帰らなくてはならないので、かえってやるだけ辛くなるんですが、それでもとにかく大好きな野球でしたから、やれるだけ参加していました。

ところがこの日は特にゲームが面白くて、家に帰るのを30分遅刻してしまいました。母親はとっくに伝道に出発して私をはおいてきぼりです。真っ青になりましたが、逃げる場所なんかどこにもないので、母子寮の部屋の隅で2時間近く正座して小さくなって待っていました。

すると母親が鬼のような形相で帰ってきまして、まずお説教、次に聖書を元に長時間のお説教です。そしてムチとなるんですが、私はそのムチに納得できません。それは我が家ではサンディ家を離れてもサンデイ家の罰を応用した変則的なルールを適用していましたので、そのルールで私は罰を受けることになっているからです。

伝道に出発するまでに家に帰って来なかったのはこれが2度目でした。前回遅れた時はお説教でした。我が家のルールでは、初めての場合はお説教、また同じ事をした場合は1時間の正座、3回目に同じ事をした時に、お尻を手で叩かれるのが基本ルールでしたので、今回は2度目のミスなので1時間の正座のはずです。そう思って私は母親が帰ってくるまでに2時間近く正座をして反省していました。そして今までの母親であればその誠意を認めてくれて、お説教だけで解放してくれるはずでした。しかしJW組織の教理の変更のおかげでいきなり我が家の罰のルールが変わりました。

それでは納得出来ないと異議を申し立てたのですが、聖書をベースに私が根負けするまで理詰めで追いつめる母親の議論に私が勝てるはずもなく、そのうち母親はヒステリーを起こし始めたので、私は全然納得していませんでしたが、あきらめて運命を受け入れることにしました。そして今回は初めてだからムチは10発にまけてやるとのことで、サンディさんの家で20発のムチを経験していますので、それじゃぁ楽勝だからいいかなとあきらめて椅子にもたれかかりました。

すると母親はパンツを下げろと言います。もうすぐ小学校2年生になろうとしている私にも人並みに羞恥心というものが芽生えて来ていますので拒否したところ、また聖書をベースにお説教です。あきらめてパンツを下げましたが、その情けない自分の姿勢に羞恥心が爆発。自分の心に深い傷を負うことになります。

そして、この日のムチですが、最初は男物の細いベルトを母子寮の寮母さんから借りてきて2回叩き、うまく力が入らないからと、途中で足踏み式ミシンの皮ベルト(直径1センチの円断面)で8回叩かれました。ところが、この生尻に打つ足踏み式ミシンのムチはサンディ家で体験したJW組織指定の女性用ウェストベルトのムチに比べて痛さが数段違います。

しかし、お尻の痛みより心の痛みの方が大きくて、くやし涙がたくさん出てきました。サンディさんの奥さんは子供の人権を認めてくれる人でしたので、子供の異議に筋が通っていればちゃんと認めてくれるし、自分が間違った事をした場合は自分から先にちゃんと子供に謝る人でした。ですから罰を受けても私は完全に納得していましたので、サンディ家でムチで叩かれても私の心が傷つくことは一切ありませんでした。

サンディ家では、私と母親とサンディさんと奥さんの4人が話し合って罰のルールを決めたので、私の希望が通るのは制限付きとは言え、一応は私の意志を尊重してくれたアメリカ式の民主的な罰の決め方に完全に納得できましたので、私がその契約を破った場合は罰を受けるのは当然と理解していましたが、今回のムチは私の承諾無しに一方的に罰のルールを変更して、先に判決が出ている一方的なものです。

私は、絶対に逃げられない環境に生活している刑務所の囚人がミスを犯し、それを見とがめた看守に、突然方針を変えたルールで暴行されているような気分になりました。そのうえパンツを下げているので、椅子越しにおちんちんの見える自分の情けない姿勢にも涙が出てきました。

そして叩きながら「力がうまく入らない」などと言って、数発おきにムチの感想を聞いて、私を実験台にして後で会衆内の母親姉妹達にムチのやりかたを教える目的が見え見えでしたので、私へのムチのチャンスを待っていた母親の不純な動機にまた怒りがわき、2時間近くの自主的反省による正座+10発の絶対に納得できない不純な動機のムチにより、JW組織の言う子供の心からサタンを追い出すというムチの目的は完全に逆効果で、ムチは私の心の中に完全にサタンを呼び込んだのでした。

しかし母親はそんな子供の心の状態なんか気にするわけもなく、元々の性格として、自分の感情が一番大事なB型の人ですから、そんな子供の心の事情は些事に過ぎず、子供の感情なんか気にするような繊細さは最初から持っていません。(私はA型) 自分だけ大興奮状態で、ムチのコツがわかった後半は鬼のような形相で私を叩きます。

それまで私はJWを辞めたいなんて事は一度も考えたことが無かったんですが、この瞬間から、チャンスがあったら何がなんでもJWをやめてやると思うようになりました。

そして組織の指導通り母親は私を抱きしめます。すると私の心は大混乱してしまいました。サンディさんの奥さんの言っていたことは事実でした。ムチの目的は子供に罰を与えると同時に子供の心に独立心を養う事であり、一番いけない事はムチの後に子供を抱きしめることだ。そうすれば子供には依頼心が出来てしまい、ムチは完全に逆効果になる。と言った通りの反応が私の心に起きます。

この突然の幼児返りみたいな自分の心の反応に自分でも驚きましたが、それが自分の心の育成にとってものすごくまずい事であるなんて、当時の私にわかるわけもなく、この日以来、私は母親にべったりとくっついて離れられなくなり、依頼心が異常に強い、精神的にものすごく弱い子供になってしまいました。

日曜日、

この日の公開講演の題は「子を懲らしめるのにためらうことなかれ」と記憶しています。この日の講演も、火曜日の三田ベテルの手紙の内容を聞いていない人には意味不明の講演でしたが、聞いている人には何を言いたいかよくわかる講演でした。そしてものみの塔研究となり、ここでも懲らしめがテーマの記事でした。いつもにない組織のしつこさに、信者全員が組織のムチの実施命令は本気なんだと実感して、この時から現在も実施中であるJWのムチが始まりました。

集会後、母親は会衆で光り輝いていました。私をムチで実験的に叩くことによりムチのノウハウを充分に仕入れて、母親姉妹達にうきうきしながらムチを伝授していました。曰く、組織の指導した男性用のベルトを女性がムチとして使用した場合はうまく力が入らないから不可である。二つ折りにした足踏み式ミシンのベルトこそ、太さといい力の入り具合といい、JW女性が使うべき最高のムチだと。

そしてこの日から、皮でできている直径1センチの足踏み式ミシンのベルトが会衆内の公式のムチとなりました。
(足踏み式ミシンのベルトが金物屋で手に入らなくなるまで)

この後、集会は異常に静かな集会になりました。それまでざわざわ騒いでいた小学生が全員蝋人形のように凍り付いたからです。もし少しでもむずむずしたら、家に帰ってからムチです。親がムチと決めたら子供に逃げ道はどこにもありません。後は親が組織の指導通り形を整えるだけです。

まず聖書を前にして子供が納得するまで永久に続く説得が始まります。ムチは子供が自発的に志願した形で受けるようにしなくてはなりません。親が問答無用で強制的にムチをするのは組織の指導に反します。ですから長時間の説得により子供が根負けして、「ぼくの心の中のサタンを追い出してください」と親にお願いする形でムチが始まります。

そして、男の子も女の子も自発的にパンツを下げてムチを20発受けます。これにより、羞恥心が必要以上に刺激されて劣等感の虜になり、この後に受ける宗教教育と相まって、性に対して異常なほどの潔癖感と嫌悪感を持つようになります。通常ならこの状態で体罰を受ければ子供は親を恨むのですが、志願して自分からお願いしてムチを受けるんですから子供は親を絶対に恨めません。

次に親は組織の指導通り子供を強く抱きしめます。これにより子供は親に怒りをぶつけれず、悪いのは全て自分だと思いこみ、強い罪悪感の虜になります。そして自分で自分をいじめる癖が付き、深いトラウマになります。こういう子供の感情を一切無視したムチの指導により、子供はさらに心が混乱して心に深い傷が付き、長い間トラウマで苦しむ結果となります。

まことにJW組織とは子供の心の奥底まで理解している偉大な組織であり、子供の人格を完全に破壊して、筋金入りのJW信者にするための効果的な方法を考え出しました。

母親姉妹達は大喜びでした。それまで集会に集中しようとしても子供が騒ぐのが気になって集会に集中できないのが母親姉妹たちの悩みの種でしたが、子供達がおとなしくなったので、今までになく集中して集会に参加できます。いままで手でお尻ひっぱたいても言うことを聞かなかった子供達が、ムチを使うコツを組織が伝授してくれたので問題は一気に解決してしまい。母親姉妹全員が「エホバは偉大よねー」を乱発していました。

それが子供達の心を傷つけ、心に深いトラウマを作っているとも知らずに。

さて、会衆内は静かにはなったのですが、乳児と幼児はそうは行きません。それまで集会中に乳児と幼児が泣き出すと、母親は早めに外に連れだして、完全に泣き終わってから中に入ってきて、皆の迷惑にならないようにするのが集会中のマナーでした。組織の指導は子供が納得するまで言い聞かせる式ですから、言葉の通じない乳児と幼児は最初からムチの対象外です。乳児と幼児の母親が困ったなと思った頃に、第2のムチの発表が出ました。

それは、もっと幼いときからムチで叩いて訓練しろという指導です。物心付く前からムチで叩いた方がより効果的に子供の信仰を強められると言う理由からでした。そして、乳児や幼児の場合は言い聞かせる必要は無く、問答無用でパンツを下げて手でお尻を力一杯20回叩けと指導されます。

この発表により、乳児がおっぱいを飲んでいる頃にはさすがに王国会館では叩かれませんが、(当時は今と違って王国会館内でみんなの前で乳房を出して授乳するのが当たり前の時代です)幼児となり、はいはいし出す頃にちょっとでも集会中に騒ぐといきなりムチという状況になりました。

この頃になると会衆内の雰囲気は一変して、以前は騒ぐ子がいると、姉妹達は「しょうがない子ね」って優しい笑顔で見てくれていましたが。幼児のムチの発表の後は状況が一変して、少しでも騒ぐ子がいると、周りの姉妹達の目の色が変わり、姉妹同士が目と人差し指で合図して、一番近くの姉妹が人差し指でその子の母親姉妹をつつき、早くムチをしろと合図をする時代になりました。

母親姉妹の後ろ側にいる姉妹達が目で合図をしあって人差し指で合図する姿は異常としか言いようがありませんが、当人達は正しい事をしていると信じていますから始末に負えません。(つーか当時現役だった私もそれが当たり前の事で、それが世の中の尺度で考えると異常な事だなんて思いもしませんでした)

すると母親はすぐに子供を外に連れだしてムチです。問答無用ですから乳児はいきなり横抱きにして、幼児は手を引っ張って外に連れ出します。乳児はわかるわけもりませんが、幼児はこれから何がおこるかわかりますから「ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません、もうしません・・・・・・」と言いながら外に消えていきます。

すると会場内の姉妹達はみんな顔を見合わせて微笑んで、神に対して良いことをしたと言う満足げな笑みを浮かべます。これが異常な空間であると考えるのは一般人ですが、組織の指導に忠実に従う正しいエホバの証人は、これが普通であって世の中が全て間違っていると考えますから、何も問題を感じません。

こういう日々が続き、次には集会中だけでなく伝道中もぐずぐずしているとその場でムチとなり(物陰でパンツを下げてムチ)それまで伝道中の子供達は、普通の子供よりはおとなしいんだけど、たまに元気を押さえきれずにはしゃぎ廻るんですが、今は、はしゃぐと後でムチで叩かれるのがわかっているから、じっと立っておだやかにお話しているという状況になり、何も知らない一般人が見ると、「エホバの証人の子供達は、本当にみんなよい子ねー」と思いこんで、「うちのバカ息子もこの宗教に入ればこんなによい子になるかしら」というきっかけで研究生になる人が増えて、信者拡大の貢献もするようになりました。

そんな日々が続いていたある日曜日、集会前にいきなり3人の警察官が来ます。2人は私服の刑事で1人は制服の警察官でした。それは、毎回集会中に外に出てきては、悲鳴を上げる子供を叩く親を見た近所の人が、児童虐待で警察に通報したのでした。かなり長い押し問答が続いたあと警察官は帰って行きましたが、その日以来、外で子供のお尻を叩くのは禁止となり、室内のトイレで叩くようになります。

それ以来会場内には「ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません、もうしません、許して、お願いおかあさん! ムチは嫌ーっ!」という子供の声の後に、「ぱんぱんぱんぱんぱんぱんぱんぱん・・・・・・」とお尻を連続で叩く音が続き、「うぎゃーっ!」という子供の絶叫が会場内に響き渡り、それを聞いた姉妹達は、満足げにうなずいて顔色一つ変えないという時代になって行きます。

また、当時の大会会場では女子トイレとか、大会会場の女子トイレが狭い場合は、授乳やおむつを換えるために用意された部屋でムチが始まります。大会で休憩時間に入った後、血相を変えた母親が子供を女子トイレに連れ込み、何人もの姉妹が見ている前で、いきなり子供のパンツを下げて手で叩くという時代になりました。(その罪名は、単に講演中にむずむずしたからと言う理由で、)

この時代のムチは20回と回数が決められていましたので、トイレにいる姉妹達は母親がお尻を叩く回数を数えていて、母親が興奮して20回以上叩き出すとやめさせる、と言う時代でした。だいたい休憩時間5分後からムチが始まり15分後にはあらからの子供は叩き終わるという感じで、休憩時間ごとに、その10分間の間に5人から15人位の子供が次々にトイレに連れ込まれて叩かれるという状況でした。これは私が見た平均ですが、大会会場にトイレは必ず複数あるので、女子トイレの数だけ子供が叩かれていました。

そして、トイレの外には自発奉仕の申し込みににあぶれた姉妹10人位が必ず見張りに立って、バッチを着けていない一般人や、バッチを着けていても明らかに研究生とわかる人が女子トイレに近づいた場合は、見張りの姉妹がトイレ入り口のドアを数回ノックしてムチをやめさせ、不審者が通過した後にドアを開けて首をつっこみ「姉妹いいわよ」と声をかけるようになります。これは、東京ドームが東京競輪場だった時代の全国規模の大会会場で毎回繰り広げられていた、ごく当たり前の光景です。

また、子供をムチで叩きなれていない母親とか、最近研究生になってムチを指導された母親が、女子トイレの前とか(小学校高学年の場合)女子トイレの中(小学校低学年の場合)で子供と一緒にいて、ムチで叩かれる子供を見学させて自分の子供の心に恐怖心与えてムチの教育をするという事が大会ごとに繰り広げられていました。

私の母親もその口で、私が小学校3年生になるまで、大会の休憩時間になると真っ先に女子トイレの中に私を連れ込み(休憩間開始3分以内)よちよち歩きの幼児から小学校低学年の児童がお尻を叩かれるのを毎回必ず私に見学させました。

これにより私は完全にムチ恐怖症になり、心の中に大きな傷が付き、親が一言「ムチだよ」と言うだけで従順な子供になって、反抗期なんて絶対にできない、完全に骨抜きにされた弱い子供になってしまいます。

よくJW2世達はムチで毎日叩かれ続けていると勘違いする人がいますが、この時代は実際に叩かれるやんちゃな子供は少数で、こうやって毎回、大会のトイレで見学させたり、毎週の王国会館のトイレでムチで子供が叩かれるのを子供に聞かせるさせることにより、子供の心に自分がムチで叩かれた時の恐怖を想像させて、子供の心にムチの恐怖のトラウマを作らせて従順な2世にするのが正しい子供の育て方でした。

そして、当時の組織側の見解は、「もしムチで子供の心が壊れたとしても、楽園に行けばエホバ神が全て治して下さるので何も問題は無い」という考え方でした。

正直言って実際にムチで叩かれる痛みより、このムチを想像する恐怖の方が怖かったですね。子供は想像力が旺盛ですから必要以上にムチに怯えます。

この頃は、80年代になってから使い出す、水道ホース、ガスホース、布団叩き、鉄製チェーン、木のハンガー、樫の棒、アクリル棒、ステンレス製の靴べら、電気コード、自動車牽引用ワイヤーを短く切ったムチを使うなんて誰も考えもしませんでしたから、竹のものさしとか、足踏み式ミシンの皮ベルト、組織指定の女性用のウェストベルト、準指定の男性用の細いベルトがムチの主流でした。

そして安くて手軽で便利だからと使いやすく短く切った水道ホースをムチとして使う母親姉妹がいると、それは野蛮な道具だからやめろと母親姉妹達に指導され、足踏み式ミシンの皮ベルトをムチとして勧められる時代でした。

私も大会のたびにムチを見学させられるのに嫌気がさして、小学校2年の頃から男性用のトイレに行かせてくれと頼みましたが母親がなかなか許してくれず、小学校3年になってやっと許可されて男子トイレに行けるようになりました。

そしてやっと解放されて男らしく男子トイレで用をたせるようになったのはいいんだけど、そうなると女子トイレの中は男の子にも禁断の世界になりますから、中で何が行われているのか全然わからなくなります。たまにムチがどうなっているのか気になって女子トイレに突撃してみると、もはや私は完全に不審者扱いで、私のせいでムチは中止されて絶対に見ることが出来ませんでした。

毎回大会の休憩時間の時にムチが始まると、女子トイレの前には見張り役の自発奉仕の姉妹達が必ず立っていますからムチをやっているんだなとわかりますが、具体的に中でどうなっているのかは完全に想像の世界になります。ムチはだいたい10分で全員終わりますから、ムチが終わると見張りの姉妹達はさっといなくなり、あぁ、ムチは終わったんだなってわかるくらいですね。

私も小学校高学年になるとムチで叩かれることはほとんどなくなりましたが、この頃になると私の人間としての感覚も完全に異常になっていて、2世の子供にはムチは絶対に必要で、2世の子供にムチをするからこそ正しいエホバの証人になれる。もし2世にムチをしなければ、絶対にまともなエホバの証人にはなれない。というふうに考え方が変化していきます。

集会中に子供がむずむずし出すと、その子供がどうにも許せなくなり、姉妹達は何をしているのかと2世達が姉妹達を見ます。その視線に気が付いた姉妹達は姉妹同士で目線を交わしあい、人差し指で該当する子供の母親を指さし始めます。すると、一番近くにいる姉妹がその母親の背中を軽く指でつつき、その母親は子供を引っ張ってトイレに連れ込みます。

すると、いきなり状況が変わって自分の身に起きる悲劇に気づいた子供は「ごめんなさい、ごめんなさい、おとなしくします、もうしません、もうしません」と言いながらトイレに連れ込まれ、30秒位経ってから、「ぱんぱんぱんぱん」と音が聞こえだして、「うぎゃー!」という絶叫が会場内に響き渡ります。

しかしだれもそれを止めないし、特に子供がかわいそうとも思えず、私も当然ながら顔色一つ変わらずに「がんばれよ、みんなそうやって正しいエホバの証人になって行くんだよ、エホバに感謝しなくちゃね」と思っていました。

この時代の自分の異常な考え方や感覚はうまく説明できませんね。自分がムチで叩かれたからこそ、まともなエホバの証人になれたと組織に洗脳されていたとしか言いようがありません。それが週3回の当たり前の日常でしたから、JWを辞めてしばらく経って気が付くまで、自分の心の中にムチのトラウマがあったなんて感覚は一切ありませんでした。

毎週3回こうやってムチで叩いていれば、トイレとはいえ子供の悲鳴が外に漏れるのは当たり前ですから、1970年代初頭の日曜日になると、必ず王国会館の近くにパトカーが常駐する事態になります。最初は3ヶ月間は連続で常駐、その後は月に2回位常駐に変わっていき、警察がJWをマークしているのは明かでした。

しかし、マークされた当人達はいたってのんきなもので、社会常識からして異常な事をしているという意識は一切無くて、平和で友好的なJW信者が警察にマークされるのは何かの間違いで、いつか誤解が解けるだろうとのんきに考えていましたので、当時中学3年生で兄弟になったばかりの私はパトカーの中の警察官に目ざめよをプレゼントして、一緒に研究をしないかと証言までしていました。

この頃から王国会館の中でのムチは急に少なくなり、たまにむずがる子供がいると親は子供を外に連れ出し、叩かずに落ち着くまで一緒にいて、落ち着いてから会場内に戻るというパターンになり、それまで母親姉妹達が自慢げに話していたムチの話が急に聞こえなくなったので、中学生の私は警察のおかげで王国会館のムチは廃れたと思いこみ、警察に感謝していました。

でも実際は家庭内に持ち込まれただけでムチは廃れていませんでした。長老がムチは家で叩くように母親達に指導していたんですね。

私はこの後、自分から志願して排斥されてJWをやめるわけですが、のんきなことに、警察のおかげでムチは完全に廃れたと思っていましたので、JWには家庭で叩くムチはあっても王国会館で叩くムチはもうないと思っていました。

それは、当時の2世の間の噂があって、沼津ベテルには第2会場というガラス張りの防音設備のついた会場があって、そこでは子供がむずがっても他人には迷惑をかけないですむからムチで叩く必要はない、これから新しくできる王国会館には第2会場が必ず併設されるそうだから王国会館でのムチはもう必要なくなるだろう、と言う噂を信じていたからです。

ところが実際には、新しい王国会館が建設され第2会場が出来た後は、物置や事務所が第3会場と呼ばれてムチ部屋となったと聞いたのは、私が40代になってオフ会で元2世達に会ってからでした。

そして私がJWを辞めた後、「家族生活」(私はこの書籍を読んでないから内容は全然わからない)という本が出てからは、家で訓練(ムチ)してから集会へ、王国会館は訓練(ムチ)の場所ではないと言うことになりました。そして、ムチは家庭内の躾の時代となって、よほど親しい関係でないとJW指導の元に行われる家庭内のムチの状況が全然わからない時代となりムチが陰湿化していきます。

さらに80年代になってからはムチのルールが変わり、私がいた1970年代のムチの20発制限がいつのまにか解除されて100発以上OKとなり、聖書を前に子供に納得させるのもうやむやとなって、お説教の後ムチになり、ムチの種類も、竹のものさしとか、足踏み式ミシンの皮ベルト、女性用のウェストベルト、男性用の細いベルトのみ使用OKだったのが、水道ホース、ガスホース、布団叩き、鉄製チェーン、木のハンガー、樫の棒、アクリル棒、ステンレス製の靴べら、電気コード、自動車牽引用ワイヤーを短く切ったムチなど、ありとあらゆる物がムチとして使用OKとなり、さらにげんこつで顔を殴りつけるのもOKとなり、逆さにして風呂の水の中に長時間浸けるとか、頭から水をかけて素っ裸にして寒空の中、長時間外に立たせるのもOKとなって行きます

ここらへんになると当時のJWの教理を知らない私にはどうにも説明不能で、(つーか、完全に理解不能です)そう言う体験をしてきた元2世達から聞いた話をそのまま書くだけです。

そして1993年11月に、当時4歳の男の子がJW組織指導の訓練(ムチ)で亡くなってしまうという痛ましい事件が起きてしまいます。

日刊紙「赤旗」1994年8月8日付けに報道された記事

エホバの証人「せっかん死」事件
http://www.jwic.info/abuse.htm

こういう不幸な事件が起きた理由を推察するに、JW組織は1980年代になってからは、とにかく新しい信者を増やすためにハルマゲドン7年周期説により定期的に信者を滅びの恐怖と楽園の希望で煽っていましたので、私の時代の組織側の見解、「もしムチで子供の心が壊れたとしても、楽園に行けばエホバ神が全て治して下さるので、何も問題はない」とう考え方がエスカレートして、「もしムチで子供が死んだとしてもエホバ神が楽園で復活させてくれるから大丈夫」に変わるほど子供の訓練(ムチ)がエスカレートして、起こるべくして起きた不幸な事故なのでしょう。

*** 偉大な教え手に聞き従う(1972年) 32-3 7 従順はあなたを守る ***
エペソ書 6章1,2,3節を読んでみましょう。「子どもたちよ,主と結ばれている親に従順でありなさい。これは義にかなうことだからです。『あなたの父と母を尊びなさい』とあり,これは次の約束を伴う最初の命令なのです,『あなたにとって物事が順調に行き,あなたが地上で長らえるためである』」。これは聖書のことばです。ですから,あなたのおとうさんやおかあさんに従順でありなさい,と命じておられるのは,エホバ神ごじしんなのです。あなたのおとうさんや,おかあさんを「尊ぶ」とは,どういう意味ですか。―それは,おとうさんやおかあさんを尊敬するということです。おとうさんやおかあさんのことばに耳をかたむけ,いわれたことを,不平をいわずに行なわなければなりません。しかも,神は,あなたが従うなら,『あなたは無事に過ごせる』でしょう,と約束しておられるのです

*** あなたの家族生活を幸福なものにする(1979年) 132 10 愛をもって懲らしめる価値 ***
5 体罰は子供の命を救うものともなります。なぜなら,神のみ言葉聖書には,「単なる少年から懲らしめを差し控えてはならない。あなたが彼を細棒でたたいても,彼は死なない。細棒をもってあなたは彼をたたくべきである。その魂をシェオールから救い出すために」とあるからです。さらに,「愚かさが少年の心に結び付いている。懲らしめの細棒がそれを彼から遠くに取り除くものとなる」とも述べられています。(箴23:13,14;22:15,新)子供の生がいにわたる利益を大切に考える親なら,弱気を出したり,うっかりしたりして,懲らしめを与えずにすますようなことはないでしょう。必要なときには愛を動機として賢明かつ公正な処置を講じます。

*** 若い人が尋ねる質問 (1989年) 21 2 なぜ両親はわたしを理解してくれないのか ***
ご両親の言われることをよく聴き,どんな尋ね方をされても,質問に答えましょう。 問題を正そうとするあなたのまじめな態度に,ご両親はきっと感心されるに違いありません。(コリント第二7:11と比較してください。)それでも,あなたが当然受けるべき懲らしめを受け入れる用意がなければなりません。「確かに,どんな懲らしめも当座は喜ばしいものに思えず,かえってつらいことに思えます。しかし後には,それによって訓練された人に,平和な実,すなわち義を生み出すのです」。

*** 若い人が尋ねる質問 (1989年)29 3 どうすれば親はもっと自由を与えてくれるのだろうか ***
ある程度自主性を持つのはよいことですが,家族の絆を犠牲にしてまでそれを得ようとしてはなりません。相互の理解や寛容,また敬意に基づいた,より大人らしい土台の上に両親との関係を築くには,どうすればよいでしょうか。一つには,敬意は敬意を生みます。使徒パウロは,「わたしたちには自分と同じ肉身の父がいて,わたしたちに懲らしめを与えても,わたしたちはこれを常に敬いました」と言ったことがあります。(ヘブライ12:9)

*** 若い人が尋ねる質問 (1989年)60 7 家を出たほうがいいだろうか ***
問題に関するご両親の見方や考え方は,あなたの見方や考え方とは一致しないかもしれません。しかしご両親には,「エホバの懲らしめと精神の規整とをもって」あなたを育て上げる責任があるということを考えたことがありますか。(エフェソス6:4)ですから,宗教的な集会にあなたが一緒に行くことや,さまざまな活動を共に行なうことを強く求めたり,他の若者との交わりを制限したりされることさえあるかもしれません。(コリント第一15:33)それはあなたが反抗したり,家出したりする理由になりますか。あなたにも,「あなたの父と母を敬いなさい」という責任があるのです。―エフェソス6:1-3。

それに,家出によって解決されるものは何もありません

注:このようにムチと知識で子供の心を縛り上げ、宗教から逃げれないように育てられる。

最近もJW家庭では相変わらず子供をムチで叩いているようですが、ムチを指導する立場の姉妹達の状況は元1世の姉妹達からいろいろ直接聞けますが、それはどんなに早くても1年以上前の話になってしまいます。ですから今現在、JW家庭の中で躾という名目で子供にどういう事が起きているのか、外部の人間には詳しい状況はわかりません。なんでもかんでも情報統制するのがJWのお家芸ですから、今のムチの詳しい状況がわかるのは数年後になるでしょう。

恐怖の80年代から90年代のムチについては、当時の私はJW信者ではありませんでしたし、当時のムチの状況を一切目撃していませんので意見は控えます。この時代のムチの話や当時の2世の子供達の状況については元2世の秋本弘毅さんが、「エホバの証人の子どもたち」という本を書いていますので、そちらを読んだ方がよくわかると思います。

著者名 秋本弘毅
書名 エホバの証人の子どもたち
出版 わらび書房
定価 ¥1800+税

著者の主催する、【エホバの証人の子供達のホームページ】の本の紹介ページ
http://www.alles.or.jp/~philip/book.html

amazon.co.jp


【ムチのまとめ】

では、私が体験した60年代から70年代のムチについてまとめてみます。話の前提として、JWのムチの指導が無い時代、米軍立川基地のサンディ家を基本として、東京にあった米軍立川基地B会衆のJW白人家族達、及び、私が基地内のスクールバスのバス停で聞きまくった、たくさんの白人WASP家庭の子供達から聞いた、家庭内の罰の話をまとめてアメリカ式ムチとして、JWのムチ実施後に、私が渡り歩いた東京と北海道の多数の会衆や大会会場で実際に見聞きしたムチをJW式ムチとします。

【振り返って考える、60年代から70年代のムチのまとめ】

【なぜJWはムチなのか?】
JWがアメリカの宗教だから。当時のアメリカ白人WASP社会で常識だった子供への伝統的体罰と、キリスト教修道院の自主的体罰を利用した、アメリカ式の価値観の押しつけと、その効果的運用。

【JWのムチに隠された本当の目的】
2世として生まれた子供達を強制的にJW信者にさせる目的と、ムチの恐怖により従順にさせて、伝道と集会の時によい子を演じる2世の子供達を、一般人や新人研究生に見せて感動させて、一人でも多くのJW信者を増やすため。

【アメリカ式ムチの目的】
アメリカ式ムチの目的は、子供に罰を与えると同時に、子供の心に独立心を養って、大きくなったら子供が親元から離れて自立して行くための、フロンティア・スピリッツ育成の目的がある。

【JWのムチの目的】
JWのムチの目的は、子供に罰を与えると同時に、子供の心に出来つつある、独立心を早めに叩き潰して、親に対する依頼心を強め、親とJW組織から絶対に離れられないようにする目的があり、叩く時にパンツを下げさせる事により、異常なほど強い性に対する罪悪感と潔癖感を植え込み、世の中に通用しない正しいエホバの証人にする目的がある。

【アメリカ式ムチ実施上の注意点】
事前に罰のルールを子供に説明して、子供の意見も一部取り入れ、親と子供が罰の契約する。ムチはルールに違反し続けた子供に対する最後の手段としての罰の一種とする。(通常の罰は、椅子に正しく座って1時間沈黙する罰、米軍立川基地B会衆では、正座1時間か椅子で2時間の選択式の罰)ムチの時は親はあらかじめ子供と約束していた回数分力一杯ムチでお尻を叩くが、子供の人格を壊す目的で叩くのではないからパンツは下げない。ムチはインターバルを置き、必要以上に子供の体に痛みが残らないように配慮する。
(インターバルの例:TV番組、"大草原の小さな家"のムチシーン)

そしてムチで叩いた後は絶対に子供を抱きしめない。その理由は、ムチの後で親が子供を抱きしめるのは、子供の心に出来つつある独立心を阻害してしまうので、子供の心の育成のために絶対に良くないから。

【JW式ムチ実施上の注意点】
新人の母親研究生に対しては会衆内の古手の母親姉妹がムチを指導する。子供が幼児の場合は親が問答無用でパンツを下げて手で力一杯20回叩く。話がわかる年頃の子供は、親が聖書をベースに長時間納得するまで子供に言い聞かせて、子供が根負けして、ムチを親にお願いする形にしてから、子供に自主的にパンツを下ろさせて、組織指定のムチで力一杯20回生尻を叩く。その後、親が子供をムチで叩いた後に「必ず」子供を抱きしめるようにとJW組織が指導しているので、親は必ず子供を抱きしめる。

このやり方により、子供の心に出来つつある自立心や独立心の成長が阻害されて親に対する依頼心が増えて親離れ出来なくなり、性に対する罪悪感が異常に増して、性に対する嫌悪感や潔癖感の強い子供になり、反抗期に親に反抗できないように自立精神を叩きつぶして子供の人格を壊す。また、大会会場の女子トイレでムチを見学させたり、王国会館のムチ部屋で行われるムチを聞かせて、子供にムチに対する恐怖を作り上げて心に深いトラウマを作ることができるので、組織のもくろみ通りに子供の人格を改造して、JW組織に従順に従う理想的なエホバに証人にすることが出来る。
(80年代になってからは回数制限は解除、子供が気絶するまで叩くのも可)

これにより、現役時代には自分の心にムチのトラウマがあるなどとは一切気づかずに生活できて、JWをやめてしばらく経ってから自分の心にムチのトラウマがあるのに愕然とする。(それが嫌ならJWをやめなきゃいいだけだよね(苦笑)

【ムチの指導の役割分担】
ムチの指導は会衆内の女性文化になっているので、基本的には会衆内の古手の母親姉妹による指導が原則。その他、長老によるワンポイントアドバイス。

但し、組織から明確な指示があっても、時間が経つとすぐに形骸化してしまうのが会衆内の女性文化なので、日本各地の会衆のローカルルールにより、まったく叩かない会衆もあれば、死ぬほど叩く会衆もある。だから男性信者の場合、JWにムチは無いとはっきり言い切る脳天気な人が必ず出てくる。
(含む、現役生活最後の頃の間抜け兄弟だった私)

【JW式ムチの具体的なやりかた】
(1964年のムチ開始から私がJWを離れる1973年までの初期の頃のムチ)

  1. 子供がJWの教理的に判断して悪いことをした場合、親は子供が根負けするまで聖書をベースに長時間言い聞かせて、子供が根負けして「僕をムチで叩いて心の中にあるサタンを追い出してください」とお願いする形に持っていく。
    (親と聖書ベースのお話し合いが出来ない幼児の場合は問答無用でムチ20発)

  2. 子供が椅子にひざまずいて自発的にパンツを下げる。これにより羞恥心が刺激されて、性に対して異常なほど強い罪悪感と嫌悪感と潔癖感を持たせることができる。

  3. 生尻に力一杯20発のムチを実施。アメリカ式ムチのようなインターバルの指導は一切無いので、子供が絶対にムチの痛みを忘れないように、とにかく力一杯叩くのが肝心。

    だから、TV番組、"大草原の小さな家"のムチシーンは、正しくインターバルを取っているのと、子供が自主的にパンツを下げるシーンがないのでJW的には間違っている。

    当時のムチ:手、竹のものさし、足踏み式ミシンの皮ベルト、女性用のウェストベルト、男性用の細い皮ベルト、水道ホース(水道ホースは組織指定のムチが手に入らない場合のみ可)ちなみに私は足踏み式ミシンの皮ベルト経験者。


    元2世達から聞いた80年代のムチ:手、竹のものさし、水道ホース、ガスホース、布団叩き、鉄製チェーン、木のハンガー、樫の棒、アクリル棒、ステンレス製の靴べら、電気のコードを束ねたもの、ビニールコーティングした自動車牽引用のワイヤーロープを短く切ったもの、鉄拳、逆さ吊りして浴槽に漬ける、裸にして頭から水をかけて外に放り出す(その他、子供に効果的に痛みを与えれるものであればなんでもOK)
  4. 組織の指導に従って、親は子供をムチで叩いた後必ず抱きしめる。その結果、子供の心が混乱して、独立心や自立心が消えて、親に対する依頼心が増え、親離れ出来なくなる。

  5. 親に抱かれたことにより子供は親とJW組織を全て許し、その反動で自分を強く責めるようになり、自分で自分の心を傷つけて、深刻なトラウマを作る。(子供がJW組織と親に心を傷つけられたと思わないようにするのが味噌)

  6. 親はそういう子供の心が全然理解出来ないから、ムチの恐怖により従順になり、集会中に長時間蝋人形のように動かなくなり、反抗期を粉砕されて反発できなくなった子供を見て、JW組織のムチ指導の偉大さに感激して「エホバは偉大よねー」を連発して、さらに信仰に熱心な信者になる。

  7. 子供が大人になってJW組織を離れると長期間トラウマに苦しむ。

  8. 例によって例のごとく、JW組織は組織を離れた人間に対してしらんぷり。当時の組織側の見解は、「もしムチで子供の心が壊れたとしても、楽園に行けばエホバ神が全て治して下さるので、何も問題は無い」と言う考え方。つまりJWを辞めた奴が悪いわけ。

    *** 幸せな家庭を築く秘訣(1996年) 59-61 5 幼い時から子供をしつける ***
    懲らしめは不可欠

    20 懲らしめとは,思いと心を矯正する訓練のことです。子供たちには絶えず懲らしめが必要です。パウロは父親たちに,「エホバの懲らしめと精神の規整とをもって[あなた方の子供を]育ててゆきなさい」と助言しました。(エフェソス6:4)親は,エホバが行なわれるように,愛のうちに懲らしめるべきです。(ヘブライ12:4-11)愛に基づく懲らしめは,言って聞かせるという形で施されることもあります。「懲らしめに聴き従(え)」と言われているのはそのためです。(箴言8:33)では,懲らしめはどのように与えたらよいのでしょうか。

    21 親の中には,脅しつけるように子供に話したり,叱りつけたり,さらには侮辱したりすれば,それだけで子供を懲らしめたことになると考える人もいます。しかし,この同じ問題についてパウロは,『父たちよ,あなた方の子供をいら立たせてはなりません』と警告しています。(エフェソス6:4)クリスチャンは皆,「すべての人に対して穏やかで,……好意的でない人たちを温和な態度で諭す」よう強く勧められています。(テモテ第二2:24,25)クリスチャンである親は子供を懲らしめるに際し,毅然とした態度の必要性を認めつつも,これらの言葉を思いに留めるようにします。とはいえ,言って聞かせるだけでは足りず,何らかの罰が必要なときもあるでしょう。―箴言22:15。

    22 どんな懲らしめが必要かは,子供によって異なります。「単なる言葉によって正される」わけではない子供もいます。そういう子供にとって,言うことを聞かなかったために時々与えられる罰は,命を救うものとなるかもしれません。(箴言17:10;23:13,14;29:19)しかし子供は,自分に罰が与えられている理由を理解している必要があります。「むち棒と戒めは知恵を与える」のです。(箴言29:15。ヨブ6:24)

    さらに,罰には限度があります。エホバはご自分の民に,「わたしはあなたを適度に打ち懲らさなければならない」と言われました。(エレミヤ46:28後半)聖書は決して,怒りにまかせたむち打ちや,激しい殴打を容認してはいません。そのようにすれば子供の体にあざをつけ,ひどい時には傷を負わせることになります。―箴言16:32。


注:以前は、ムチでいくら叩いても子供は死なないので、親は徹底的に子供をムチで叩けと教えていたのだが、その教理に忠実に従った親のムチで子供が死んでしまい、マスコミに非難されるようになるとムチの教理を変更した。

*** あなたの家族生活を幸福なものにする(1979年)132 10 愛をもって懲らしめる価値 ***
5 体罰は子供の命を救うものともなります。なぜなら,神のみ言葉聖書には,「単なる少年から懲らしめを差し控えてはならない。あなたが彼を細棒でたたいても,彼は死なない。細棒をもってあなたは彼をたたくべきである。その魂をシェオールから救い出すために」とあるからです。さらに,「愚かさが少年の心に結び付いている。懲らしめの細棒がそれを彼から遠くに取り除くものとなる」とも述べられています。(箴23:13,14;22:15,新)子供の生がいにわたる利益を大切に考える親なら,弱気を出したり,うっかりしたりして,懲らしめを与えずにすますようなことはないでしょう。必要なときには愛を動機として賢明かつ公正な処置を講じます。

*** 幸せな家庭を築く秘訣(1996年) 60 5 幼い時から子供をしつける ***
さらに,罰には限度があります。エホバはご自分の民に,「わたしはあなたを適度に打ち懲らさなければならない」と言われました。(エレミヤ46:28後半)聖書は決して,怒りにまかせたむち打ちや,激しい殴打を容認してはいません。そのようにすれば子供の体にあざをつけ,ひどい時には傷を負わせることになります。―箴言16:32。

『あなたの家族生活を幸福なものにする』(1979年)
幸福な家庭生活を送るための指針を明らかにしている。結婚生活、夫婦の役割、子どもの養育、永遠の命を目ざす家族が払うべき努力などについて、きめ細かい指導をしている。80年、93年11月から94年5月の書籍研究の教科書。

『幸せな家庭生活を築く秘訣』(1996年)
1979年に出版された『あなたの家族生活を幸福なものにする』の改訂版。


現在もムチはJW家庭内で実施中(証言者多数)

現在のムチは、事前に「お母さんはあなたを愛しているからムチするんだからね」と子供に念を押してから叩いて、叩き終わったら子供を抱きしめるやり方を指導している。(ちなみにこのセリフは、私の母親のムチの後のいいわけ)

注:暴力を振るった後に愛情を示すのは、ドメスティック・バイオレンスの夫が、妻を殴った後に愛情を示すのと同じやりかた。これにより子供は強度の依存症になり、親から逃げれなくなる。

またムチの回数は、儀式的に1回でいいと言う姉妹から、100回以上叩くべきだと言う姉妹までいて、ムチを指導する姉妹により様々な見解があり、そのうえ会衆ごとのローカルルールによって、ムチを禁止している会衆から奨励している会衆まであるので、2世の子供達を何を使って何回叩いているのか断定的に言うのは難しい。

ムチの方針としては、昔の私の時代のように、ムチとJW流の鉄壁な理論?で子供の心を厳しく縛るのをやめて、親子の愛情とムチで子供の心を縛る式の指導に変えたせいで、ムチで叩かれても親も組織も悪いとは思えないニュータイプの2世達が増えている。今後は、昔のように厳しく育てられた元2世達が理解できないニュータイプ2世が主流になり、組織に巧妙に指導された、歪んだ形の親子の愛情でがんじがらめに縛られたニュータイプ2世達がJW組織の主要戦力になると思われる。


だから最近はJWの教理が間違っているとわかっていながら、JWをやめる事ができない現役2世や、JWを辞めてもネットでJWを擁護する元2世など、一般人には理解不能な2世達がいるわけ。

ニュータイプ2世:背教者のJW組織批判=自分の親を批判された気分になる。ちがうっちゅーの!ヽ(`Д´)ノ


【注意】
現役2世達は自分達が異常だなんて思ってません。異常だなんて言ったら真剣に怒ります。現役2世はJWの世界しか知らないし、「世の中はみんな間違っている、JWだけが正しい」と教育されて、乳児の頃からムチで叩か続ける事により、JWという宗教は聖書的に正しいとか間違っているではなく、「とにかく正しいんだから何がなんでもやらなきゃならない」と言う単一の価値観を子供の頃から体に叩き込まれているからです。

インターネットの発達により情報を共有する時代になると、JWの鉄壁な理論も、多数の批判にさらされて世の中に通用しない時代になります。そうなるとJW組織の頭のいい人達は信者を減らさないために、2世の子供達を、「頭」(理論)ではなくて、「心」(親子の愛情)で縛るわけですね。でも、そんな都合のいいやり方は時間が経てば必ずばれますよ。子供はバカじゃないんだからね。

【参考1】
1975年のハルマゲドン予言がはずれて信者が大激減して、それまで100人いた会衆が10人位に減り、JW組織の特別開拓者の大量投入により数年後には120人以上に戻った会衆もあったりして、一時的に減った信者数が爆発的に増加してからは、会衆は分会に継ぐ分会で増加して、そのおかげで、それまでの古きよきアメリカ的な会衆内の伝統的な雰囲気が断ち切られ、極めて日本的な会衆の雰囲気に変わってしまう。昔は米軍立川基地のアメリカ人会衆と日本人の会衆の雰囲気はほぼ同じだったが、今はアメリカの会衆に参加した経験のある人が日本の会衆に参加すると、その雰囲気の違いにたまげるようになる。

そして会衆の増加により分会に継ぐ分会で、初期の信者たちが時間をかけて作った良き伝統が断ち切られ、会衆ごとにルールが違うローカルルールが増え始めた80年代以降には、60〜70年代のムチを指導できる姉妹の数が足りなくなり、最初の頃のムチを全然知らない信者が増えて、ムチの解釈の地域差が激しい時代になり、20発制限が無くなり、1回のムチが100発以上OKの時代になり、ムチの後に抱きしめるのもどこかに消えて、体罰ならなんでもいい時代になる。そのため、この時代に育った元2世の中には、ムチの後、親に抱きしめられた経験の無い人もいる。

信者が増加しすぎてからはムチの解釈がエスカレートして、逆さずりにした子供を頭から浴槽の水の中に長時間漬けたり、ムチの後、裸にして頭から冷水をかけて寒空の外に放り出す式の、「問題のある子供は死ぬ寸前まで訓練(ムチ)すれば正しいエホバの証人になれる」という、一般人には絶対に理解不能な、幼児虐待、児童虐待も、エホバへの信仰のために全て許される時代になる。(1993年11月、ムチによる死亡事件発生)

その後は子供の訓練方針が変更になり、(つーかムチの問題に気が付いた組織が信者を再教育して本来のムチに戻した?)最近は成長した2世達が組織を離れないようにするために縛りをかなり緩めた。その他の理由として、昔のように蝋人形のようにおとなしい従順な2世の子供達を見た一般人や新人研究生がそれに対して何も魅力を感じなくなり、逆におとなしすぎる子供達を不審に思う時代に変わってきたので、厳しく育てると信者が減るようになったのも理由の一つと思われる。昔は親子伝道は基本中の基本だったが、最近は親子伝道をあまり見かけないのはそのためと思われる。

【参考2】
なぜパンツを下げるのか?

日本で手に入るムチの本は、ほとんどが拷問,迫害,SM関係の本で、聖書をベースにムチで叩かれた後の子供の精神状態を解説した本など手に入らないので、自分の経験だけをベースにした想像になるのだが、昼のTVでヨーロッパのマイナー映画が放映されるのを見ていると、真面目な宗教的映画で、自分からパンツを下げてムチで打たれるのは、キリスト教の修道僧や修道女がほとんどで、打たれる理由は、異性に欲情した自分の心を諫める目的で画かれている。推察するに、キリスト教世界の何世紀もの伝統で、性に対する欲望を諫めるには、自分からパンツを下げて、上司や同僚にムチで叩いてもらう式のムチは非常に効果的な方法であったと思われる。

しかし、修道僧や修道女は自分の頭で考えて自主的に信仰を持ち、自分から志願して修道院に入って世との接触を断った男女であるので、この、自分で考えた上で上司や同僚にお願いして、自分で自分のパンツを下げてお尻をムチで叩いてもらう式のムチは、JWのムチと形としては似ているが意味がぜんぜん違いすぎる。この修道院の伝統的ムチの方法を、信仰を必要としているかどうかもわかっていない幼い子供に強制的に流用するのはそもそも無理がある。

子供の場合、パンツを下げることにより自尊心と羞恥心が必要以上に刺激され、性に対して異常な罪悪感を持ち、大人になってから、私のように異性に興味を持ちすぎて軟派師になるか、逆に異性に対して恐怖心を感じて結婚に縁がないとか、結婚しても結婚生活がうまくいかないなどの悩みを、オフ会で元2世達から多数聞いている。

【おまけ】
80年代以降のムチの種類の中の、自動車牽引用ワイヤーロープを短く切ったムチ(針金をよりあわせて作ったワイヤーをビニールでコーティングした直径20mm位長さ1m位のムチ)についてですが、海上自衛隊経験のある私はこれを聞いてあきれました。

19歳で海上自衛隊に入隊し、横須賀教育隊で新隊員教育を受けていた時に、戦争経験者で軍医上がりの片足の医官から座学を受けた時に聞いた話ですが、明治時代から終戦までの旧日本海軍では、いくさに強い兵を作るために、上級兵による下級兵に対する私的制裁はおおっぴらに黙認されていて、下級兵が集団責任でムチをされる事を「整列」と呼んでいました。「整列」では、顔を鉄拳で殴るのはビンタ、尻にムチをするのはバッタと呼ばれていて、海軍精神注入棒と呼ばれるムチで行われていました。(もちろんパンツは下げません、作業ズボンの上からです)

旧海軍のムチの種類は、野球のバット、内絃マッチと呼ばれる掃除用のモップの柄、クランジパイプ(消火用ホースの筒先や鉄パイプ)などで行われていましたが、軍医命令により一つだけ禁止されていたムチがあります。それはフレキシブル・ワイヤーと言う物で、水兵の白い作業服が汚れないように、布を巻き付けたワイヤーロープで尻を打つ事です。

「整列」の時にフレキシブル・ワイヤーでムチをすると、運が悪い場合、先端が前に回り込んで陰部を直撃して、陰茎や陰嚢を潰し、2度と子供を作れない体になってしまいます。海軍では強い兵を作るために私的制裁を黙認していましたが、兵を廃兵にしてしまうのは本末転倒なので、フレキシブル・ワイヤーによるムチは禁止で、その禁を破って叩かれた兵が怪我をした場合、加害者は海軍刑務所行きでした。

訓練中の事故や戦争で人が死んでも許される旧日本海軍でさえ禁止していた「整列」時のフレキシブル・ワイヤーのムチを許すJWっていったい何?


今、現役信者をやっている人で、過去にJW組織の指導に忠実に従って子供をムチで叩いた経験のあるあなた。将来子供に捨てられる可能性がありますよ。ちゃんと自覚してますか?

若い頃は許せても、年齢が上がるにつれて許せなくなることがいっぱいあります。それが人間というものだと思います。

私がJWの教えの通りに自分でパンツを下げて母親にムチで叩かれた合計はせいぜい60発です。恐怖の80年代を生きてきた2世に比べたら、本当に何て事は無い数です。たったの60発です。でもたったそれだけの回数でも、人間は年をとると絶対に許せなくなるものです。

私は20代の頃、母親を完全に許しました。

しかし30代になると許せなくなりました。

それは何故かと言うと、20代の頃は、母親が何を考えて私にそう言う訓練をしたのかが理解できなかったからです。確信を持ち自信を持って私を教育する母親とは、純粋に私に対する愛情と、純粋に神に対する信仰から厳しく私を育てたと判断しました。ですから、その動機には悪気は無かったんだろうと好意的に考えて、親に育ててもらった恩と、母親に対する優しさから過去を全てを水に流し、母親を完全に許しました。

しかし、自分が年を取って当時の母親の年齢を過ぎれば、母親が何を考えてそう言うことをしたのかが自然に理解できるようになります。そしてどういう動機でそう言うことをやったのかも自然に理解できるようになります。

自分が親になってみると、親とはそれほど純粋に子供を愛しているわけでもないのがわかるし、母親が会衆内での自分のポジションを維持するための見栄で動いていたとか、自分の判断や考え方に自信なんか全然なくて、常に不安で、それを一人で解決できないから安易に宗教に走り、JWを信仰しても常に不安で、その不安感の裏返しで私に当たり散らしていたというのがわかってきます。そして、それがわかるようになると話の答えが変わってきます。

過去にムチで叩いたとしても、親がJWを辞めたのであれば親はJWに騙されていたんだと納得できて許せます。人間の心とは弱い物だと思います。自分一人で神や信仰に頼らないで生きていける私みたいなタイプの人もいますが、信仰や神がいないと常に不安な人もいます。そう言う人には信仰は不可欠でしょう。そういう心の弱いタイプの親が信仰を求めてろくでもない宗教にひっかかり、今は改心したと考えれば過去を許してあげることもできます。

しかし、最後まで組織の教えに忠実に従う現役信者であれば、そういう優しい考え方は絶対にできません。そういう親は、組織の指導に忠実に従った確信的な共犯者です。

いろいろあって母親と絶縁しましたが、40代になった今は母親と絶縁して正解だと思っています。そして今は、頼むから一日でも早く死んでくれと願っています。そういう感情は理屈ではうまく説明できませんね。

JWで、悪魔サタンの支配する世の中と言われている日本の一般社会を長く生きて来て、「自分に厳しく、他人に優しく」という日本的な考え方を知る事が出来て、自分もそうあろうと努力して生きていますが、JWで教わったのは、「自分に厳しく、他人に厳しく」と言う厳しい考え方でした。

たとえ自分の親であれ、自分が蒔いた種はちゃんと刈り取ってもらわなくてはなりません。私はそういう考え方をJW組織から体で教わりました。

今は信仰に熱心な信者と、なんちゃって信者の差が激しい時代だと聞きますが、なんちゃって信者の親に育てられた2世より、信仰に熱心な信者の親に育てられた2世の方が私みたいになる可能性が高いです。

今も現役信者の親をやっている人達はよく考えてね。もしあなたが過去に熱心な信者で、JWの教えに忠実に従って、【行いよりも動機が大事】って教育をしながらムチで叩いた人であれば、あなたの子供が、今の時点で過去の虐待行為を許してくれたとしても将来は絶対にわかりませんよ。

子供は時間が経てば必ず大人になります。その時に、その当時のあなたの心の奥底にあった本当の動機が自然にわかるようになります。その時にあなたが現役信者をやっていたら、大人になった子供が再びあなたを許すどうかは誰にもわからないと思いますよ。

JWとは人を裁くのが大好きな宗教です。大人になった子供は、昔あなたが教えた通りに、将来のあなたを裁く可能性がありますよ。


資料

現在も続く「懲らしめ」という名のムチ教育

現在使われている新人研究生用の教科書「永遠の命に導く知識」より

現在の新人研究生は研究が順調に進めば『知識』1冊でバプテスマ準備だそうで・・・

おめーらJWを舐めてんのか!

*** 知識 146〜149ページ 神に誉れをもたらす家庭を築く ***
神についての知識に従って子供たちを育てる

19 懲らしめ。聖書は愛ある懲らしめの重要性を強調しています。(箴言1:8)今日,子供たちを導く責任を回避する親たちは,明日,ほぼ確実に悲痛な結果に直面することになります。しかし,親には,他の極端に走ることに対する警告も与えられています。「父たちよ,あなた方の子供をいらいらさせて気落ちさせることのないようにしなさい」と,パウロは書きました。(コロサイ3:21)子供を矯正する際に度を過ごしたり,子供の欠点をくどくどと繰り返して子供の払った努力を批判したりすることは,親として避けなければなりません。

注:『子供たちを導く責任』とは、親が自分の子供を強制的にJW信者にすること。
『責任を回避する親たち』とは、懲らしめのムチで自分の子供を叩けない親のこと。
『悲痛な結果』とは、エホバの証人の子供が自分の意志でJW信者を辞めること。

20 わたしたちの天の父エホバ神は,懲らしめを与える点で模範を示しておられます。エホバの矯正は決して極端なものではありません。神はご自分の民に,「わたしはあなたを適度に打ち懲らさなければならない」と言われました。(エレミヤ46:28)親はこの点でエホバに倣うことが必要です。道理にかなった程度を超えて,あるいは矯正と教えを与えるという本来の目的を無視して与える懲らしめは,確かに子供をいらいらさせます。

注:JWによると、エレミヤ記は西暦前647〜580年の事を書いている。JWは2600年前のやりかたで現在のエホバの証人の子供を教育しろと教えている。

*** 新世界訳聖書 エレミヤ 46:28 ***
28 あなたについていえば,わたしの僕ヤコブよ,恐れてはならない』と,エホバはお告げになる,『わたしはあなたと共にいるからである。わたしはあなたを追い散らしたすべての国の民の中で滅ぼし絶やすことをするからである。しかしあなたについては,滅ぼし絶やすことをしないであろう。とはいえ,わたしはあなたを適度に打ち懲らさなければならない。あなたを処罰せずに置くことは決してない』」。

注:このように聖書に書いてあるので、全てのエホバの証人の子供を「懲らしめのムチ」で死なない程度に「適度に」ムチで叩いて教育しなければならない。

21 親は自分の与える懲らしめが効果的かどうか,どのように確認できるでしょうか。親は,『自分の与える懲らしめは何を成し遂げるだろうか』と自問できるかもしれません。懲らしめは教えを与えるものであるべきです。お子さんは懲らしめが与えられている理由を理解すべきです。親は矯正が及ぼす影響にも関心を抱くべきです。確かに,ほとんどの子供たちは最初,懲らしめを受けるといら立ちを覚えます。(ヘブライ12:11)しかし,子供たちが懲らしめを受けておびえたり,見捨てられたと感じたり,自分は生まれつき悪い人間なのだと思い込んだりするようなことがあってはなりません。エホバはご自分の民を矯正する前に,「恐れてはならない……わたしはあなたと共にいるからである」と言われました。(エレミヤ46:28)確かに矯正は,お子さんが,親は愛と支えを与えてくれる存在であり,自分と共にいてくれると感じられるような方法で与えるべきです。

注:ほとんどの2世の子供達は、親にムチで叩かれることにより、ムチにおびえ、親に見捨てられたと感じるようになり、自分は生まれつき悪い人間なのだと思い込み、劣等感の固まりになり、心に深い傷を残す。そしてその状態に子供の心が耐えられないから親の言う通りにJWの信仰に励むしかなくなる。なので、この文章は子供の精神改造を目的とした児童虐待を正当化するための巧妙な詭弁。

「巧みな指導」を得る
22 わたしたちは,幸福な家庭を築くのに必要な道具をエホバが与えてくださることに感謝できます。とはいえ,道具を持っているだけでは十分ではありません。その正しい用い方を練習しなければなりません。例えば,道具の使い方の悪い癖がついてしまった大工さんがいるとしましょう。その人の幾つかの道具の使い方は完全に間違っているかもしれません。そういう事情であれば,その人のやり方で作られる物はきっと見劣りのするものとなるでしょう。同じように今あなたは,自分の家庭に入り込んでいる不健全な習慣に気づいておられるかもしれません。ある種の習慣は深く染み込んでいてなかなか変えられないこともあるでしょう。それでも,次の聖書の助言に従ってください。「賢い者は聴いて,さらに多くの教訓を取り入れ,理解のある者は巧みな指導を得る人である」―箴言1:5。

注:『巧みな指導』とは研究司会者が研究生にムチのノウハウを教える事。
『幸福な家庭を築くのに必要な道具』とは「懲らしめのムチ」
『正しい用い方』とはムチの正しい使いかた。

『知識』の欄外の質問と、本当の答え

質問
19,20 子供たちを正しく懲らしめるには何が関係していますか。親はエホバの模範からどのように益をえることができますか。

答え
1)子供たちを正しく懲らしめるには「懲らしめのムチ」が必要。
2)親子揃って楽園に行くために、子供をムチで叩いてでも無理矢理JW信者に しなければならない。
3)全ては楽園に行くため。いま子供が苦しくても、楽園に行けば親を感謝してくれるはず。いやそうにちがいない。そうでなければ親の愛情を理解できない親不孝な子供だ。親不孝な考えを持つ子供はムチで叩いて親孝行な子供にしなければならない。そうしないと親子揃って楽園に行けなくなる。
4)エホバの模範から得られる益とは、ハルマゲドンを通過して楽園に行って永遠の生命を得て「不老不死」になれること。

質問
21 親は自分の与える懲らしめが効果的かどうか、どのように確認できるでしょうか。

答え
1)子供がムチにより2重人格者になり、幼い頃から本音と建て前を使い分けれるようになれば、懲らしめのムチの効果が一応確認できた状態と言える。
2)そのために、子供の心の中に「人間を滅ぼす恐ろしい神であるエホバ」の存在を常に意識させ、JWを信仰しない自分は悪い子だと思うようにさせる。
3)そう思いこまさせるために幼い頃から「懲らしめのムチ」と「親と子の聖書研究」で長期間のすり込み教育をして、子供の心に劣等感と罪悪感と死の恐怖を植え付け、JWを信仰した時だけ心の安らぎを得れるようにさせて、子供が大きくなったらJW信者以外の道に進めないようにする。
4)そうすれば子供は「JWを信仰しないとハルマゲドンで滅ぼされて明日にでも死んでしまう」と思いこむようになるため、「親がムチで自分を叩くのは、親が自分の命を助けてくれているからだ」と思えるので、ムチで死ぬ寸前まで叩かれても親を恨まず、逆に親とJW組織を感謝するようになる。

質問
22,23 幸せな家庭を築くために必要な指導は、どうしたら得れますか。

答え
1)黙っていても、必要性があれば研究司会者がちゃんとムチのやりかたを教えてくれる。
2)母親が研究司会者と聖書研究に熱中していると、子供はやきもちを焼いて親にまとわりついて聖書研究を妨害する(当たり前)。そうなると研究司会者は、「命にかかわる大事な聖書研究をじゃまする子供はちゃんとしつけないと親子揃って楽園に行けません。そのためにはこうするべきです…」といろいろ教えてくれる(それが研究司会者の仕事)
3)それを受け入れるか受け入れないかは親次第だが、受け入れない場合は、親は楽園に行けて子供はハルマゲドンで滅ぼされて死んでしまうので、親子死に別れになる。
4)子供の命を助けたければ親はムチで子供を虐待して、JW信者以外の道に進めないようにする。そうすれば親子揃って「不老不死」になれる。
5)但し、JWの教理は何かあるとすぐにころころ変わり、過去のJWのハルマゲドン予言が全部はずれてきたことを研究司会者は絶対に教えてくれない。 (と言うより研究司会者もよく知らないし、知っていても教えてくれない)

質問:知識を試してみましょう

質問
親はどのようにして子供たちに親の愛を確信させることができますか

答え
1)もうすぐハルマゲドンが来て、みんなエホバ神に滅ぼされて死んでしまうのよ。でもエホバの証人をやっていれば大丈夫、一生懸命聖書を勉強して、組織のいいつけを忠実に守って、大きくなったら開拓者になれば必ず楽園に行けます。楽園に行ければエホバ神が永遠の生命をくれるのよ。人間は永遠に生きれるのよ。もう死ななくていいのよ。○○ちゃんよかったでしょう。こういうのを真理って言うの、真理はみんな知らないのよ。おかあさんは真理を知ることが出来たから幸せになれたの、だって真理を知ったから永遠に生きれるのよ。○○ちゃんも幸せでしょ?
2)え? 幸せじゃないの? なんでこんな簡単なことがわからないのかなぁ… ○○ちゃんはまだまだ訓練が足りないわね。じゃぁ聖書から勉強してみようか。聖書の何章何節開いて。そこ読んで、そこに何て書いてある? 字が難しくて読めないぃぃ? あんた学校で何を習って来たの? ちゃんと勉強してるの? 宿題はやったの? 聖書研究が大変だから宿題をする暇がなかったぁぁぁ? そんなのは理由になりません。あなたはエホバの証人の子供なんだから勉強が出来て当たり前です! 同じ会衆の○○ちゃんを見なさい!ちゃんと全部やってるじゃないの! じゃぁ宿題は後回しにして聖書研究にします!(以下延々と親と子の聖書研究が続く)
3)子供はこれに懲りて次回同じ質問があったときは「うん!」と元気よく答える事を覚えるようになり、自分が2重人格者にならなければならないことを知る。
4)これが「親の愛を確信させる」行為。

質問
正しい懲らしめにはどんな要素が関係していますか

答え
1)正しい懲らしめの要素とは、親が研究司会者の指導に忠実に従い、言われた通りに子供をムチで叩くこと。それが正しい懲らしめ。
2)会衆によってムチの種類が全然違うので、親は会衆のやりかたに従ってムチを使う。(主として関東はステンレスの靴べら、関西は電気コード[上図参照]それ以外の地方では、水道ホース、ガスホースなど)とにかく日本全国の会衆にムチの種類がいろいろあるので、親は研究司会者の指導に忠実に従って子供を叩く。
3)子供はこれに懲りて同じ失敗を2度と繰り返さないようになり、自分は全然納得していなくても、親を納得させるにはどうすればいいか常に注意を払うようになり、2重人格の生活に慣れる。子供が2重人格になればムチで叩かれなくなる。
4)そんな2重人格の生活を長期間続けていると本当の自分がなんだかわからなくなるから、そうなれば2重人格の形成は完璧。

注:この原稿を書いた時点ではリアルタイムの状況だったんですが、最近はムチが問題化したせいで状況が変化してきたようです。


「永遠の命に導く知識」について、キリスト教の牧師からの反論(抜粋)

*** 知識 146〜149ページ 神に誉れをもたらす家庭を築く ***
神についての知識に従って子供たちを育てる

19 懲らしめ。聖書は愛ある懲らしめの重要性を強調しています。(箴言 1:8)今日,子供たちを導く責任を回避する親たちは,明日,ほぼ確実に悲痛な結果に直面することになります。しかし,親には,他の極端に走ることに対する警告も与えられています。「父たちよ,あなた方の子供をいらいらさせて気落ちさせることのないようにしなさい」と,パウロは書きました。(コロサイ3:21)子供を矯正する際に度を過ごしたり,子供の欠点をくどくどと繰り返して子供の払った努力を批判したりすることは,親として避けなければなりません。

*** 新世界訳聖書 箴言 1:8 ***
8 我が子よ,あなたの父の懲らしめに聴き従え。あなたの母の律法を捨て去ってはならない。

*** 新世界訳聖書 コロサイ 3:21 ***
21 父たちよ,あなた方の子供をいらいらさせて気落ちさせることのないようにしなさい。

・・19節
1.箴言1:8は、子供に対し父母の訓戒をよく聞くように、と説いています。しかし、「聖書は愛ある懲らしめの重要性を強調しています」と『知識』が主張していることとは、少々ニュアンスが違うと思いますが、いかがでしょうか。

2.コロサイ3:21は、父に対し、子どもを怒らせないように、と教えています。ところが、『知識』は、この勧めを「他の極端に走ることに対する警告」と位置づけて論述しています。しかし、コロサイ書の聖句自体から、「他の極端に走ることに対する警告」という内容が出てくるわけではありません。むしろ、『知識』の著者が、まず箴言1:8を一つの基準として引用し、コロサイ3:21の聖句を、箴言の教えに対する極端な反動的行動と位置付けて解説しているのです。コロサイ3:21で述べているパウロの父親に対する勧めの言葉は、決して、「他の極端に走ることに対する警告」というようなものでありません。そのように誤解を与えるような『知識』の記述のし方をあなたはどう思われますか。

*** 知識 146〜149ページ 神に誉れをもたらす家庭を築く ***
20 わたしたちの天の父エホバ神は,懲らしめを与える点で模範を示しておられます。エホバの矯正は決して極端なものではありません。神はご自分の民に,「わたしはあなたを適度に打ち懲らさなければならない」と言われました。(エレミヤ46:28)親はこの点でエホバに倣うことが必要です。道理にかなった程度を超えて,あるいは矯正と教えを与えるという本来の目的を無視して与える懲らしめは,確かに子供をいらいらさせます。

*** 新世界訳聖書 エレミヤ 46:28 ***
28 あなたについていえば,わたしの僕ヤコブよ,恐れてはならない』と,エホバはお告げになる,『わたしはあなたと共にいるからである。わたしはあなたを追い散らしたすべての国の民の中で滅ぼし絶やすことをするからである。しかしあなたについては,滅ぼし絶やすことをしないであろう。とはいえ,わたしはあなたを適度に打ち懲らさなければならない。あなたを処罰せずに置くことは決してない』」。

・・20節
1.『知識』は、エレミヤ46:28を引いて、エホバの懲らしめは適当であった、と述べています。しかし、このエレミヤの聖句は、神はイスラエルを徹底的に裁くことはせず、回復をもお与えになることを強調しています。事実、イスラエルはその罪故、バビロン捕囚という悲惨な裁きを経験しなければなりませんでしたが、しかし、それも、70年を経て、解放されたのです。ところで、親が子供を叱るときに適当にしておかねばならないことと、神がイスラエルの民の罪に対してなされた裁きの姿勢とは、根本的に異なることだと思うのですが、いかがでしょうか。

*** 知識 146〜149ページ 神に誉れをもたらす家庭を築く ***
21 親は自分の与える懲らしめが効果的かどうか,どのように確認できるでしょうか。親は,『自分の与える懲らしめは何を成し遂げるだろうか』と自問できるかもしれません。懲らしめは教えを与えるものであるべきです。お子さんは懲らしめが与えられている理由を理解すべきです。親は矯正が及ぼす影響にも関心を抱くべきです。確かに,ほとんどの子供たちは最初,懲らしめを受けるといら立ちを覚えます。(ヘブライ12:11)しかし,子供たちが懲らしめを受けておびえたり,見捨てられたと感じたり,自分は生まれつき悪い人間なのだと思い込んだりするようなことがあってはなりません。エホバはご自分の民を矯正する前に,「恐れてはならない……わたしはあなたと共にいるからである」と言われました。(エレミヤ46:28)確かに矯正は,お子さんが,親は愛と支えを与えてくれる存在であり,自分と共にいてくれると感じられるような方法で与えるべきです。

*** 新世界訳聖書 ヘブライ 12:11 ***
11 確かに,どんな懲らしめも当座は喜ばしいものに思えず,かえってつらいことに[思えます]。しかし後には,それによって訓練された人に,平和な実,すなわち義を生み出すのです。

*** 新世界訳聖書 エレミヤ 46:28 ***
28 あなたについていえば,わたしの僕ヤコブよ,恐れてはならない』と,エホバはお告げになる,『わたしはあなたと共にいるからである。わたしはあなたを追い散らしたすべての国の民の中で滅ぼし絶やすことをするからである。しかしあなたについては,滅ぼし絶やすことをしないであろう。とはいえ,わたしはあなたを適度に打ち懲らさなければならない。あなたを処罰せずに置くことは決してない』」。

・・21節
1.『知識』は、「子供たちが、懲らしめを受けておびえたり、見捨てられたと感じたり、自分は生まれつき悪い人間なのだと思い込んだりするようなことがあってはならない」ということを読者に説得するため、エレミヤ46:28の聖句を引用します。すなわち、「エホバはご自分の民を矯正する前に」(バビロン捕囚という裁きの前に)、イスラエルの民と共にいることを約束したことを取り上げ、親も子に対し同じ姿勢をとるよう勧めています。あなたは、この類比が適切だと思いますか。

2.神がイスラエルの民をバビロン捕囚によって裁かれたとき、神の聖さと罪の恐ろしさを自覚させるため、徹底したものであったことは明らかです。そのとき、イスラエルの民が神によって見捨てられてしまった、と感じていたことは、エレミヤ哀歌を一読すれば明らかです(イザヤ40:27など参照)。

*** 新世界訳聖書 イザヤ 40:27 ***
27 「どんな理由があって,ヤコブよ,あなたは言うのか,イスラエルよ,あなたは言い立てるのか,『わたしの道はエホバから覆い隠された。わたしに対する公正はわたしの神ご自身をよけて行く』と。

神は、民が「懲らしめを受けておびえたり、見捨てられたと感じたり、自分は生まれつき悪い人間なのだ」と自覚することを望んでいたのです。では、エレミヤ46:28が教えている真理はどういうことでしょうか。それは、神は、たとえ民がそのような厳しい裁きを受けたとしても、ご自身の民に対して無限の愛をもって支え続ける方であることを証詞された、ということです。

*** 新世界訳聖書 エレミヤ 46:28 ***
28 あなたについていえば,わたしの僕ヤコブよ,恐れてはならない』と,エホバはお告げになる,『わたしはあなたと共にいるからである。わたしはあなたを追い散らしたすべての国の民の中で滅ぼし絶やすことをするからである。しかしあなたについては,滅ぼし絶やすことをしないであろう。とはいえ,わたしはあなたを適度に打ち懲らさなければならない。あなたを処罰せずに置くことは決してない』」。

*** 新改訳聖書 エレミヤ書 46:28 ***
わたしのしもべヤコブよ。恐れるな。――主の御告げ。――わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは、あなたを追いやった先のすべての国々を滅ぼし尽くすからだ。わたしはあなたを滅ぼし尽くさない。公義によって、あなたを懲らしめ、あなたを罰せずにおくことは決してないが。」

神の絶対的な愛に基づく保証の言葉は、親が子どもの心や気持ちを考えて戒めることとは大きな違いがあります。聖句を引用して比較するときは、表面的な現象ではなく、基本的な点で一致しないと誤解されてしまうと思うのですが、いかがでしょうか。

*** 知識 146〜149ページ 神に誉れをもたらす家庭を築く ***
「巧みな指導」を得る
22 わたしたちは,幸福な家庭を築くのに必要な道具をエホバが与えてくださることに感謝できます。とはいえ,道具を持っているだけでは十分ではありません。その正しい用い方を練習しなければなりません。例えば,道具の使い方の悪い癖がついてしまった大工さんがいるとしましょう。その人の幾つかの道具の使い方は完全に間違っているかもしれません。そういう事情であれば,その人のやり方で作られる物はきっと見劣りのするものとなるでしょう。同じように今あなたは,自分の家庭に入り込んでいる不健全な習慣に気づいておられるかもしれません。ある種の習慣は深く染み込んでいてなかなか変えられないこともあるでしょう。それでも,次の聖書の助言に従ってください。「賢い者は聴いて,さらに多くの教訓を取り入れ,理解のある者は巧みな指導を得る人である」―箴言1:5。

・・22節
1.「その正しい用い方を練習しなければなりません」という文章は、結局、聖書の原則を実践するため自分の努力を重ねなければならないことを強調しています。実は、『知識』が述べていることは、聖句(それも厳密に言えば、そのほとんどが、家庭建設とは直接関係がないものですが)を用いている以外は、世の中に出回っている「ハウ・トゥーもの書物」とは何等変わりません。聖書が教える「子供の育て方」、「幸福な家庭を築く築き方」とは、はたしてそのようなものなのでしょうか。

2.では、聖書の教えはどのようなものでしょうか。聖書は、家庭を築くという前に、まず、人間が贖われねばならないことを強調しています。そうです。人間は、まず、自分の無力さ、罪深さを自覚する必要があります(マルコ7:20-23、ローマ3:10-18)。

*** 新世界訳聖書 マルコ 7:20-23 ***
20 さらにこう言われた。「人から出て来るものが人を汚すのです。21内側から,つまり人の心から,害になる推論が出て来るのです。すなわち,淫行・盗み・殺人・22姦淫・貪り・邪悪な行為・欺まん・みだらな行ない・ねたむ目・冒とく・ごう慢・理不尽さです。23これら邪悪な事柄はみな中から出て来て,人を汚します」。

*** 新世界訳聖書 ローマ 3:10-18 ***
10 こう書かれているとおりです。「義[人]はいない,一人もいない。11洞察力のある者はいない,神を探し求める者はいない。12すべて[の人]が[道から]それ,みな共に価値のない者となった。親切を行なう者はいない,一人すらいない」。13「そののどは開かれた墓,彼らは舌で欺まんを弄した」。「毒へびの毒が彼らの唇の裏にある」。14「またその口はのろいと苦いことばで満ちている」。15「彼らの足は血を流すのに速い」。16「破滅と悲惨が彼らの道にあり,17彼らは平和の道を知らない」。18「彼らの目の前に神への恐れはない」。

そして、神の恵みよる贖いを受ける必要があります(ローマ3:23-24、エペソ2:1-6)。

*** 新世界訳聖書 ローマ 3:23-24 ***
23 というのは,すべての者は罪をおかしたので神の栄光に達しないからであり,24彼らがキリスト・イエスの[払った]贖いによる釈放を通し,[神]の過分のご親切によって義と宣せられるのは,無償の賜物としてなのです。

*** 新世界訳聖書 エフェソス 2:1-6 ***
2 さらに,あなた方は自分の罪過と罪にあって死んでいましたが,そのあなた方を[神は生かしてくださいました]。2あなた方は,この世の事物の体制にしたがい,また空中の権威の支配者,不従順の子らのうちにいま働いている霊にしたがって,一時はそうした[罪]のうちを歩んでいました。3そうです,それら[不従順の子ら]の中にあって,わたしたちは皆,一時は自分の肉の欲望にしたがって生活し,肉と考えとの欲するところを行なって,ほかの人々と同じく生まれながらに憤りの子供でした。4しかし,神は憐れみに富んでおられ,わたしたちを愛してくださったその大いなる愛のゆえに,5わたしたちが罪過にあって死んでいたその時にさえ,キリストと共に生かし―あなた方は過分のご親切によって救われているのです―6また,キリスト・イエスとの結びつきにおいてわたしたちを共によみがえらせ,天の場所に共に座らせてくださったのです。

生まれつきの人間は正しいことを行なう力がないので(ローマ7:14-24、ガラテヤ5:19-21)、

*** 新世界訳聖書 ローマ 7:14-24 ***
14 わたしたちが知っているとおり,律法は霊的なものであるからです。しかしわたしは肉的であって,罪のもとに売られているのです。15わたしは自分の生み出しているものを知らないからです。自分の願うところ,それをわたしは実践せず,かえって自分の憎むところ,それを行なっているのです。16しかし,自分の願わないところ,それがわたしの行なうところとなっているなら,わたしは,律法がりっぱなものであることに同意しているのです。17しかし今,それを生み出しているのはもはやわたしではなく,わたしのうちに住む罪です。18わたしは自分のうち,つまり自分の肉のうちに,良いものが何も宿っていないことを知っているのです。願う能力はわたしにあるのですが,りっぱな事柄を生み出す能力はないからです。19自分の願う良い事柄は行なわず,自分の願わない悪い事柄,それが自分の常に行なうところとなっているのです。20では,自分の願わない事柄,それがわたしの行なうところであるなら,それを生み出しているのはもはやわたしではなく,わたしのうちに宿っている罪です。

21 そこでわたしは,自分の場合にこの法則を見いだします。自分では正しいことをしたいと願うのに,悪が自分にあるということです。22わたしは,内なる人にしたがえば神の律法をほんとうに喜んでいますが,23自分の肢体の中では別の律法がわたしの思いの律法と戦い,わたしをとりこにして肢体の中にある罪の律法へと引いて行くのを見ます。24わたしは実に惨めな人間です!こうして死につつある体から,だれがわたしを救い出してくれるでしょうか。

*** 新世界訳聖書 ガラテア 5:19-21 ***
19 さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,21そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。

贖われた結果与えられる聖霊により頼まねばなりません(ローマ8:1-17、ガラテヤ5:16-18)。

*** 新世界訳聖書 ローマ 8:1-17 ***
8 こういうわけで,キリスト・イエスと結ばれた者たちに対して有罪宣告はありません。2キリスト・イエスと結びついた命を与える霊,その[霊]の律法が,あなたを罪と死の律法から自由にしたからです。3肉による弱さがあるかぎり律法には無能力なところがあったので,神は,ご自身のみ子を罪深い肉と似た様で,また罪に関連して遣わすことにより,肉において罪に対する有罪宣告をされたのです。4それは,律法の義の要求が,肉にではなく,霊にしたがって歩むわたしたちのうちに全うされるためでした。5肉にしたがう者は自分の思いを肉の事柄に向けるのに対し,霊にしたがう者は霊の事柄に[向ける]からです。6肉の思うことは死を意味するのに対し,霊の思うことは命と平和を意味するのです。7肉の思うことは神との敵対を意味するからです。それは神の律法に服従しておらず,また,現に[服従し]えないのです。8それで,肉と和している者は神を喜ばせることができません。

9 しかし,神の霊があなた方のうちに真に宿っているなら,あなた方は,肉とではなく,霊と和しているのです。けれども,キリストの霊を持たない人がいれば,その人は彼に属する者ではありません。10しかし,キリストがあなた方と結びついているなら,体は罪のゆえに確かに死んでいるとしても,霊は義のゆえに命となっているのです。11そして,イエスを死人の中からよみがえらせた方の霊があなた方のうちに宿っているのなら,キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたその方は,あなた方のうちに住むご自分の霊によって,あなた方の死ぬべき体をも生かしてくださるのです。

12 それですから,兄弟たち,わたしたちは義務を負っています。それは,肉にしたがって生きるという,肉に対する[義務]ではありません。13肉にしたがって生きるなら,あなた方は必ず死に至るからです。しかし,霊によって体の習わしを殺すなら,あなた方は生きるのです。14神の霊に導かれる者はみな神の子であるからです。15あなた方は,再び恐れを生じさせる奴隷身分の霊を受けたのではなく,養子縁組の霊を受けたのであり,わたしたちはその霊によって,「アバ,父よ!」と叫ぶのです。16霊そのものが,わたしたちの霊と共に,わたしたちが神の子供であることを証ししています。17さて,子供であるならば,相続人でもあります。実に,神の相続人であり,キリストと共同の相続人なのです。ただし,共に栄光を受けるため,共に苦しむならばです。

*** 新世界訳聖書 ガラテア 5:16-18 ***
16 むしろわたしは言います。霊によって歩んでゆきなさい。そうすれば,肉の欲望を遂げることは決してありません。17肉はその欲望において霊に逆らい,霊は肉に逆らうからです。これらは互いに対立しており,それゆえにあなた方は,自分のしたいと思うそのことを行なえないのです。18さらに,霊に導かれているのであれば,あなた方は律法のもとにはいないのです。

このような贖いの経験を経てから、はじめてどのように生きるかということが問題になるのです(ガラテヤ5:25-26、エペソ2:8-10)。

*** 新世界訳聖書 ガラテア 5:25-26 ***
25 もし霊によって生きているのであれば,また霊によって整然と歩んでゆきましょう。26自己本位になって,互いに競争をあおり,互いにそねみ合うことのないようにしましょう。

*** 新世界訳聖書 エフェソス 2:8-10 ***
8 まさにこの過分のご親切のもとに,あなた方は信仰によって救われているのです。そして,これはあなた方によるのではなく,神の賜物なのです。9そうです,それは業によるのではありません。だれも誇ることのないためです。10わたしたちは[神]の業の所産であって,キリスト・イエスと結ばれて良い業のために創造されたのです。それは,わたしたちがそのうちを歩むようにと神が前もって準備してくださったものです。

実は、新約聖書には、家庭建設のためのノウハウを教えている聖句はほとんどありません(それこそ、『知識』が、一般的な教えを説いている聖句を本章において参照聖句としてあげねばならなかった理由です)。なぜなら、聖霊の導きの中に歩むなら、親子関係、夫婦関係は、自ずから神が望んでおられるすばらしいものになるからです。

3.『知識』は、「自分の家庭に入り込んでいる不健全な習慣」を追放するため、さらに多くの教訓を取り入れ、指導を得るために、箴言1:5の助言に従うよう勧めています。

*** 新世界訳聖書 箴言 1:5 ***
5 賢い者は聴いて,さらに多くの教訓を取り入れ,理解のある者は巧みな指導を得る人である。

ところで、箴言1:5は、賢い人はこの箴言から多くの教訓や指導を得ることができる、と箴言が書かれた目的を述べています(新世界訳は、箴言1:2-6の流れが分りにくいので、新改訳などを読んで、その流れを確認してください)。

*** 新世界訳聖書 箴言 1:2-6 ***
2 [これは,]人が知恵と懲らしめを知り,理解のことばをわきまえ,
3 洞察力,義と裁きと廉直さを与える懲らしめを受け入れ,
4 経験のない者たちに明敏さを,若者に知識と思考力を与えるためのものである。
5 賢い者は聴いて,さらに多くの教訓を取り入れ,理解のある者は巧みな指導を得る人である
6 [これは,]箴言と難解なことわざ,賢い者たちの言葉とそのなぞを理解するためである。

*** 新改訳聖書 箴言 1:2-6 ***
2 これは、知恵と訓戒とを学び、悟りのことばを理解するためであり、
3 正義と公義と公正と、思慮ある訓戒を体得するためであり
4 わきまえのない者に分別を与え、若い者に知識と思慮を得させるためである。
5 知恵のある者はこれを聞いて理解を深め、悟りのある者は指導を得る
6 これは箴言と、比喩と、知恵のある者のことばと、そのなぞとを理解するためである。

こらし・める 【懲らしめる】
悪いことをした人に罰を与えて、二度とするまいという気持ちにさせる。こりさせる。「いたずら者を懲らしめる」

くんかい 【訓戒/訓誡】
(1)事の善悪・是非を教えさとし、いましめること。また、その言葉。「生徒を訓戒する」「訓戒をたれる」
(2)学校・会社などの組織における処罰の一つ。最も軽いもの

三省堂提供「大辞林 第二版」より

すると、箴言1:5の「助言に従がってください」とは、知恵ある者となって、箴言の言葉の理解を深め、箴言から指導を得てください、という意味になります。『知識』がそのようなことを言いたかったのではないことは明らかです。あなたは、このような問題を起こしてしまう『知識』の聖書の用い方をどう思いますか。

*** 知識 146〜149ページ 神に誉れをもたらす家庭を築く ***
23 あなたは,神についての知識を取り入れつづけることによって,巧みな指導を得ることができます。家族生活に当てはまる聖書の原則に絶えず気を配り,必要な場合には調整を加えてください。夫婦として,また親として立派な模範を示している円熟したクリスチャンを観察してください。そのような人たちに話しかけてください。何よりも,祈りの中で,自分の心にかかっている事柄をエホバにゆだねてください。(詩編55:22。フィリピ4:6,7)エホバは,神に誉れをもたらす幸福な家族生活を楽しめるよう,あなたを助けることがおできになるのです。

*** 新世界訳聖書 詩編 55:22 ***
22 あなたの重荷をエホバご自身にゆだねよ。そうすれば,[神]が自らあなたを支えてくださる。[神]は義なる者がよろめかされることを決してお許しにならない。

*** 新世界訳聖書 フィリピ 4:6-7 ***
6 何事も思い煩ってはなりません。ただ,事ごとに祈りと祈願をし,感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい。7そうすれば,一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくださるのです。

・・23節
1.「神についての知識を取り入れつづけることによって、巧みな指導を得る」という文章の「巧みな指導を得る」という句は、箴言1:5からのものです。

*** 新世界訳聖書 箴言 1:5 ***
5 賢い者は聴いて,さらに多くの教訓を取り入れ,理解のある者は巧みな指導を得る人である。

ところで、『知識』は、この言葉を箴言の文脈から取りだし、「神についての知識を取り入れる」(具体的には、ものみの塔の教える信仰を学び続ける、ということでしょう)と中味を変更し、その言葉を使っています。このように内容をすり替えても、聖書の言葉が出てくるなら、記述していることが聖書の教えであるかのような錯覚を読者に与えることができます。著者がどこまで意図的に(自覚して)操作しているのか、私には分りません。というのは、そのようにでもしなければ、ものみの塔の主張を聖書的な教えであると読者に思わせることはできないからです。『知識』が、このような方法で聖書を用いていることを知っても、あなたは、『知識』を聖書の真理を解き明かしている書物として受け止めますか。

2.「家族生活に当てはまる聖書の原則に耐えず気を配り、必要な場合には調整を加えてください」という生き方は、自分の努力によって神に喜ばれる家庭生活を送ろうとすることです。贖われたクリスチャンの信仰とは、「聖書の原則に耐えず気を配り、必要な場合には調整を加える」というような律法的なものでしょうか。むしろ、キリストは自由を与え(ヨハネ8:32、36)、解放してくださったのではないでしょうか(ガラテヤ5:1)。

*** 新世界訳聖書 ヨハネ 8:32 ***
32 また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」。

*** 新世界訳聖書 ヨハネ 8:36 ***
36 それゆえ,もし子があなた方を自由にするならば,あなた方は本当に自由になるのです。

*** 新世界訳聖書 ガラテア 5:1 ***
5 キリストは,このような自由のためにわたしたちを自由にしてくださったのです。ですから,堅く立って,再び奴隷のくびきにつながれないようにしなさい。

3.『知識』は、「夫婦として、また親として立派な模範を示している円熟したクリスチャンを観察してください」と述べています。しかし、そのような先輩のクリスチャンを見るようにとの勧めは、聖書のどこにあるでしょうか。クリスチャンは、むしろ、「わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスを一心に見つめながら」歩むことを勧めているのではないでしょうか(ヘブル12:2)。

*** 新世界訳聖書 ヘブライ 12:2 ***
わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスを一心に見つめながら。この方は,自分の前に置かれた喜びのために,恥を物とも思わず苦しみの杭に耐え,神のみ座の右に座られたのです。

情報ソース:聖書から『知識』を論じる

著作権:日本聖書刊行会発行の新改訳聖書から引用


ムチの思想は過去から現在に至るまで変わっていません。過去にはムチはあったが今は違うと思いこんでいる人がいるようですが、過去から現在に至るものみの塔の出版物を検証するとそれが嘘であることがわかります。

現在は1世の母親研究生が激減しているため、2世の親が3世の子供をムチで叩くのが主流になっています。

なぜ2世はムチなんだ?後編
過去の出版物から検証するムチのマニュアル
【エホバの証人の子供達への懲らしめ教育】

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2002/03/21 公開
2003/05/09 追加